幽霊との対話 川上弘美『真鶴』

 何の前触れもなく夫は姿を消し、夫の日記には「真鶴」という謎めいた言葉が残されていた。こんなふうに書くと、まるでサスペンスドラマの始まりのようですが、『真鶴』は、夫の失踪によって受けた心の傷から、ゆるやかに回復してゆく妻の物語です。
 真鶴。この神秘的で想像力を刺激する言葉、実は神奈川県に実在する海辺の町の名前です。夫が失踪して12年。東京には思春期を迎える娘と初老の母がいて、仕事の関係で知り合った恋人もいます。それでも、妻の足は自然と真鶴へと向きます。「真鶴」という場所には、失踪した夫の謎をめぐる内的生活がたくされていると言えます。
 東京という日常と真鶴といういわば異界を往復する生活は、彼女の分裂した精神を表してもいて、それは彼女が他人には見えない女と言葉を交わすことからもわかります。
「歩いていると、ついてくるものがあった。
まだ遠いので、女なのか男なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた。」
 この小説がすごいのは、文体です。短い文を連ねること、接続詞を極力省くこと、この書き方を徹底することによって、小説には、「意味のすきま」独特の「あわい」を生み出しています。
 ここに「幽霊」が存在する余地というか、リアリティが生まれています。
 なぜ夫は失踪したのか。
 幽霊との対話は、この疑問をめぐって繰り返されます。川上弘美が描こうとしているのは、「真鶴」や「幽霊」といった内的現実との対話によって、人は前に進んでいくことができるという事実です。そして、幽霊の存在と可能にしているのが、文体であるという点で、『真鶴』は、この世とあの世の「あわい」を描き続けてきた作家のひとつの到達点です。

 ところで、『真鶴』の解説で三浦雅士は「文学は幽霊のことを扱うはずのものだったんじゃないか、と呟いたのが、村上春樹。そんなのあたりまえじゃん、と応じたのが、川上弘美」と書いている。学生のころ、K先生が「今年のテーマはセイレーンにしましょう」といったの思い出しました。今になってその意味が少しずつわかってきたような気がします。なんてひどい学生なんだろ。書けば、幽霊が出てくる。ここでいったん幽霊シリーズはおしまい。今度は猫をやって、猫と幽霊ってことで、村上春樹のいくつかの作品を再読してみたらおもしろいと思っています。