意外にコンサバ? 赤坂真理『ミューズ』

 関西生まれ、関西在住なので、関東の地理がわからない。東京の地名を聞いても、それによって喚起されるイメージはとぼしい。『ミューズ』では成城という地名が重要な意味を持つ。成城の矯正歯科で歯列矯正を受けている女子高生が妻子ある歯科医を誘惑し、密会を重ねる話。少女は崖の下に住んでいて、崖を登ると高級住宅街が広がっている「成城五丁目」。一方、崖下の「成城三丁目」にある少女の家から見えるのは、ありふれた下町の風景「(…)小さな住宅が密集し、住宅の間に半地下のプレハブ倉庫などがある。野川の河岸から同じ高さの土地がずっと、狛江を抱き込んで多摩川を越え遠く川崎まで続く」成城五丁目、歯列矯正、歯科医との恋愛。これら崖の上にあるものは、少女の上昇志向を、あるいは、家(母)から自由になるという希望を示している。
 この小説の魅力は、そんな図式的なものの見方を拒否するような独特の文体や感覚表現にある。彼女はテレクラでサクラのバイトをしたときのやり方、稼ぎがナンバーワンだった理由を語る。「ひとにはその人を動かしているオペレーション・システムがある。それを取って、器だけになり、偏在している他者を私に入れる。(…)アンインストールした自分はいつも、何かモノに一時的にあずかってもらう」テレクラのバイトを辞めたのは、自分をあずけていたモノが持ち去られ、パニックを起こしてしまったからだと。歯科医のクルーザーでデートしたときも、彼女の意識はクルーザーに同化した。
 しかし、「私」はふたたび使い古されたトラウマという物語に回収されてしまう。彼女には母親が行う新興宗教の儀式に使われ、致命的な失敗をしたという。彼女には「天子様は見ている」という声が聞こえる。心理学には、この小説を説明できるしかるべき用語がたっぷりあるに違いない。自分をモノにあずけ、他者を私に入れる。他者の声を聴く。もうこれで十分ではないだろうか。同じ作者の『ヴァイブレータ』は、そうした世界を作り上げていて、ぼくはこっちのほうがおもしろかった。