ふたりのレーヴィ プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』

 プリーモ・レーヴィはどうやらふたりいるようだ。化学者のレーヴィと作家のレーヴィ。さらに作家としても『アウシュヴィッツは終わらない(原題:これが人間か)』『休戦』などナチス強制収容所から生還した体験を書くレーヴィと『天使の蝶』『周期律』といったファンタジーやSF色の濃い幻想小説を書くレーヴィ。本書の解説には、レーヴィが自身を半人半獣のケンタウロスにたとえた言葉が紹介されている。
「私は両生類あるいはケンタウロスのようなものです(…)私はふたつに割かれているのです。片方の半分は、工場のもので、私は技術者であり、化学者です。反対に、もう片方は、最初の半分とは完全にかけ離れていて、私が執筆したり、インタヴューに答えたり、私の過去と現在の経験について考えたりするときのものです。脳がちょうどふたつに割れているのです」
 日本ではアウシュヴィッツ体験を書く作家というイメージが強いかもしれないが、『天使の蝶』は、自動車の性別と事故率との関係性を考察した「《猛成苔(クラドニア・ラピダ)》」、人間をどのような形態の動物にすべきか話し合う「創世記 第六日」など、科学と想像力の絶妙なバランス、思わずにやりとしてしまうユーモア、皮肉の利いたオチのある短編集。純粋に想像力の世界を楽しませてくれる。なかでも全15編中6編に登場するNATCA社のセールスマン、シンプソン氏の持ってくる製品はドラえもんの道具のように奇想天外な着想と機械類への偏執が感じられる。機械いじりしたり、奇態な動植物を想像したり…。心からそんなことが好きだったにちがいない。この短編集を読む限り、レーヴィが言う化学者と小説家はそんなにかけ離れたことには見えない。
 一方で、ナチスの生体実験を扱った表題作「天使の蝶」や人間の女に恋したことで自己の中に凶暴なもう一人の自分を見出す「ケンタウロス論」は、レーヴィの「人間」そのものへの不信感を語っているように見える。腸に寄生するサナダムシが宿主への愛をつづる「人間の友」のように、人は決してサナダムシのラブコールに耳を貸そうとはしない。レーヴィの分裂とは、サナダムシの側に身をおいて「人間」を語る作家ゆえなのだと思う。