無意識からの誘い シュニッツラー『夢小説・闇への逃走 他一篇』

 

夢小説・闇への逃走 他一篇 (岩波文庫)

夢小説・闇への逃走 他一篇 (岩波文庫)

 

  本書『夢小説・闇への逃走 他一篇』には、中編の表題作二編と小品「死んだガブリエル」が収録されている。「夢小説」はスタンリー・キューブリックの遺作となった『アイズ ワイド シャット』の原作。外科医のフリドリンには美しい妻と愛くるしい娘がいて、絵に描いたような幸せな家庭を築いているが、舞踏会の翌朝、他の男に気を引かれたという妻の告白を聞いたフリドリンは、どうにも落ち着かない自分の身を持て余すようになる。そんなとき偶然出会った学生時代の同級生からいかがわしい仮面舞踏会が行われることを知り、無理やり押しかけていくが…。

 フリドリンの周りに次々に立ち現れる女たちは、あたかもフリドリンその人の無意識的な性の欲望が生み出したかに見えるし、仮面舞踏会で起こった出来事は、サスペンス的な要素を持ちながらも、どこまでが現実でどこまでが夢なのかはっきりしない。訳者の池内紀は解説で性と死がシュニッツラーの終生のテーマだったと書いている。一般に私たちが社会生活を営んでいくうえで、抑圧したり、隠蔽したりするのが性と死であり、フリドリンもまた、社会的地位や家庭生活を守るために、そうしたものを無意識の世界へ押し込んでいた。別の言い方をすれば、様々な可能性を一つ一つあきらめ、殺しして初めて今の自分が成り立つのである。

 ここで注意しなければならないのは、殺され、抑圧された者たちは、決してそのままおとなしくしているわけではないということである。奴らは一見神妙な顔をしながら、いわば亡霊のようにちょっとした隙間や空いた窓を見つけて再び出てこようとする。フリドリンに限らず、私たちは無意識の世界からつねに誘われている。夜のウィーンの街角を彷徨するフリドリンが出会うのは、そういう意味でかつて自分が「殺した」女たちだ。彼があやうい綱渡りを渡り切るのか落っこちるのか、もうそれは運としか言いようがない。すごいなと思うのは、シュニッツラーが夢の世界の発動する瞬間、ちょっとした日常のゆらぎを見事にとらえていること。日常に落ちるわずかな日の陰りがフリドリンを亡霊のさまよう夜へと導いてしまう。

 フロイトを連想させる話。池内紀の解説によると、同時代、ともにウィーンに住んでいたフロイトとシュニッツラーは友人同士というわけではなかったが、フロイトはシュニッツラー宛の手紙の中で二人の「はなはだしい一致」を指摘し、シュニッツラーを「もう一人の自分(ドッペルゲンガー)」というほど、両者の間には共通するところがあったようだ。

 一方『闇への逃走』では、兄が自分を殺すのではないかという妄想に取りつかれたローベルトという男の悲劇を描くが、フリドリンと比べると気の弱いローベルトは、「闇」の世界(=狂気)の誘いを断ち切るほど意志が強くない。ローベルトが安定期と精神的な不安定を行き来し、ふり幅が大きくなっていくさまは、幸せになると、その幸せを成立させている闇の殺戮に無関心ではいられない、ある種の繊細さを感じさせる。ローベルトは幸せの表裏を同時に見てしまうので、幸せに耐えられないのだ。「闇への逃走」というタイトルは決して皮肉ではない。

 最後に「死んだガブリエル」のことを一言。この小品は都筑道夫が「奇妙な味ベスト5」の一つに選んでいるもので、本書を読むきっかけにもなった。「夢小説」でも「闇への逃走」でも付けている仮面がはがれると、思いもよらぬ別の姿が現れるという趣向だが、「死んだガブリエル」は小品だけにその趣向はよりはっきりしている。友人の死を悼む主人公の仮面が落ちると...。しかし、表と裏がくるりと入れ替わるというだけではない。こうくるかという見事なラスト。「死んだガブリエル」を読むだけでも、この本を購入する価値あり。