墓碑銘の試み ローレンス・ダレル『黒い本』

 

黒い本 (1961年)

黒い本 (1961年)

 

 ローレンス・ダレルの名前を知ったのは、倉橋由美子がエッセイの中で『アレキサンドリア四重奏』について書いていたのが最初だった。たぶん、学生時代だ。それからずっとダレルのことは忘れていたが、ふと寝る前に読んだらすぐ寝れるんじゃないかと思って手に取った。

「幕間狂言を。では始めよう。今日は東地中海から、強風が吹き上げてきている。朝がやってきた。現像液にひたった一巻きのフィルムに沿って流れる黄色い霧のように。この窓から見おろせる白く泡立つ海峡を越え、遠くビヴァリーから、水神がその贈り物を届けてきた―泥を、濃い黄褐色の沈殿となって、湾を横切っている泥を。風はその通る道すがら、巨大なかい掘りのように、海の臓腑をすっかり浚えてしまい(…)」

 引用したのは冒頭の一節。決して読みやすいとは言えないが、『黒い本』全体から見たらまだましなほう。訳者・河野一郎も「きわめて難解」「軽い気持で垣間見をたくらむ俗物を寄せ付けまいとするように、比喩と晦渋の垣をはりめぐらしている」と書いている。ぼくはまさに「垣間見をたくらむ俗物」だったわけで、ベッドで数行を目で追っては昏倒するということを繰り返していた。

『黒い本』はローレンス・ダレルが23歳の時、崇拝するヘンリー・ミラーに原稿を送ったことがきっかけで出版された。作中に登場する日記の書き手であるグレゴリーと街で出会った女グレイスとの関係や、語り手と同じくレジナホテルに住む同性愛者の男タークィン、ジゴロのクレア、語り手が働く女子校など、ストーリーというより意味がとれる人物や場面が点描されるものの、その多くは難解な現代詩風の散文で構成されている。

『黒い本』がヘンリー・ミラーの『北回帰線』に影響を受けていることは言うまでもないが、『北回帰線』がパリの街を彷徨する異邦人の物語としてある程度のストーリー性を持つのに対して、『黒い本』はロートレアモンの『マルドロールの歌』を連想させる性と死のメタファーが散りばめられた言葉の奔流である。熱に浮かされたうわごと、気のふれた、あるいは忘我の境地にある人のような語彙の連なりが波のように寄せては返す。もうそれは海、カオスを模した始原の海である。

 上記の作家以外にもシェークスピアマザーグースのもじりがあったり、T・S・エリオットやチョーサー、ラブレーに言及されたり、『黒い本』は様々な文学的遺産を引き継いでいるのだけど、23歳の若者がそうした遺産を引き継ぎつつ、しようとしたことはやっぱり一回死ぬことだろう。あるいは、死んでいることを確認すること、そしてカオスを通って死の向こうからもう一度始めること。

「今日という日を、ぼくはこの物語を始める日にえらんだ。なぜなら今日、ぼくたちは死者にまじって死んでおり―これは死者への論争、生者への記録だからだ」

「骨にからみついた繊維のかたまり、どんなミイラも、どんな塩の柱も、どんな解剖用死体も―今日のぼくたちの半分も死んではいないのだ」

 繰り返される死のイメージ(河野一郎はホテル自体が巨大な棺だという)。当然、そこには墓が必要であり、墓碑銘が刻まれる。『黒い本』は言ってみれば、自分の墓碑銘を自らが刻むという試みではないか。

 その意味でグレイスの死と墓碑銘をめぐる一節はとても興味深い。彼女は亡くなる前に「おまけをつけて」という、言葉を残した。この謎の、同時にとてもかわいらしい言葉をグレゴリーは彼女の墓碑銘にしようと考える。

「ここにグレイシー眠る。一九二七年歿。おまけをつけて」

 しかし、彼女の父親が墓石に彫らせたのは「身は去れど思い出は去らず」

 ここに刻まれた「不滅の冗談」、使い古され、血の通わないクリシェ。ローレンス・ダレルが戦っている相手は、その死を自覚しない紋切型、形骸化した西欧文化だ。

「このわたしに思い起こさせてくれ、グレイシーを奪い、その蒐集品に加えた剽軽な永遠を。わたしは繰り返し、繰り返し、つぶやくのだ―『本当の墓碑銘は、おまけをつけて、なんだ』と」

 無自覚な死(あらゆる紋切型)から自分を救い出すためにダレルが選んだのは、一回死ぬ、カオスを通って再び自己を見出すという古典的な方法だった。その意味で『黒い本』は若いローレンス・ダレル自らが刻んだ墓碑銘だと思う。

 とめどない言葉のうねりの果てにむかえる「朝だ」という単純な一語。その一語に、ようやく見出された光の痕跡を感じることができる。