近代人の悲しみ 江戸川乱歩『江戸川乱歩短篇集』

 

江戸川乱歩短篇集 (岩波文庫)

江戸川乱歩短篇集 (岩波文庫)

 

  江戸川乱歩の短篇を読んで感じるのは、東京という大都市なしには乱歩の短篇は成立しないということだ。都市の雑踏や死角に紛れる人のありようにいち早く気がついたのは「群集の人」のエドガー・アラン・ポー。最初の探偵小説を書いたのもポーで、その名を受け継ぐ乱歩が迷宮のような近代都市を小説の舞台にするのは、考えてみればごく自然なことかもしれない。

 乱歩を読み解く視点のとして、二つのキーワードを設定してみよう。一つは「見る/探す」。もう一つは「閉じこもる」である。では、「見る/探す」から考えてみよう。「D坂の殺人事件」は語り手の「私」と明智小五郎がカフェでコーヒーを飲みながら、向かいの古本屋を観察している場面から始まる。9月になったばかりの蒸し暑い晩で、古本屋という万引きされやすい商売であるにもかかわらず、奥の障子をずっと締め切って、長い時間店番がいないままなのを不審に思ったという。

 通りを挟んで向かいの家をカフェから眺めるという「D坂」の冒頭は、もうそれだけでぞくぞくする。視線は街を彷徨う。発達した都市が視線を誘発すると言ってもいい。その視線はただ眺めて満足するのではなく、何かを探しているのである。その何かというのは、探偵小説なら「事件」ということになるだろう。しかし、これはあくまで結果であって、「屋根裏の散歩者」などは「見る/探す」ことそのものが目的化している。

 こうした要素が最も美しく結実した短編として挙げられるのが「押絵と旅する男」だろう。たまたま乗り合わせた汽車で知り合った男が不思議な押絵の由来を語り出す。語り手「私」は男に勧められるまま、押絵を遠眼鏡で覗いてみるのだが、そこには生きているとしか見えない老人と美しい娘がいるのが見える。ストーリーの詳細は省略するが、そこにいるのは男の兄で、彼は浅草十二階から遠眼鏡で見かけた娘に一目惚れし、来る日も来る日も浅草へ出向いては遠眼鏡で意中の女を探し続ける。

 ここでは「見る/探す」対象は「運命の女」である。ちょっと話は横道にそれるが、例えば泉鏡花の「外科室」を思い出してほしい。目と目を見かわしただけの女と恋に落ちる、とここまでは「押絵と旅する男」と似ていなくもない。しかし、鏡花の場合、男女の想いが成就された瞬間、二人がこの世に留まることを許さない。目と目を見かわしただけの二人は時を隔てて再会し、血しぶきの中でこの世を去るのである。

 おそらく鏡花には信じられていたものが、乱歩には共有されていない。それがもう一つのキーワード「閉じこもる」である。幻想小説において、異界はいつもぽっかりと口を開けて待っている。アリスが穴に落ちたように、何かをくぐって異界へとたどり着く。「お勢登場」には、お勢という毒婦の完全犯罪が描かれるが、ここで注目したいのは、お勢の病弱な夫が子供とかくれんぼをして、押し入れの長持ちに隠れることだ。

 乱歩の短編では作中人物がよく狭いところに閉じこもる(「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」)。彼らの行動はしばしば胎内回帰願望と解釈されるが、見方を変えれば、ようやく探し当てた異界への回路がもはや失われていたということもできるのではないだろうか。そのため彼らは自ら袋小路へ迷い込もうとしているように見える。異界への回路は閉ざされているのだ。

 乱歩の作中人物は東京という大都市に視線を彷徨わせる。雑踏や死角にはことかかない。彼らは飽きもせず、探索し身を隠そうとする。しかし、その都度彼らはそれ以上先へはいけないことを再認識させられる。乱歩を読むと、異界への回路を失った近代人の悲しみを感じる。

<収録作>

二銭銅貨

「D坂の殺人事件」

「心理試験」

「白昼夢」

「屋根裏の散歩者」

人間椅子

「火星の運河」

「お勢登場」

「鏡地獄」

「木馬は廻る」

押絵と旅する男

「目羅博士の不思議な犯罪」