自然と怪異の間 モーパッサン『モーパッサン短編集(一)~(三)』

モーパッサン短編集(一) (新潮文庫)

モーパッサン短編集(一) (新潮文庫)

  • 作者:モーパッサン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1971/01/19
  • メディア: 文庫
 

 訳者・青柳瑞穂の「あとがき」によれば、1850年に生まれ、1893年に亡くなったモーパッサンの文学活動は30歳から40歳までのたった10年間だったという。その間に360編余の中短編、7巻の長編小説などを書いている。新潮文庫の『モーパッサン短編集』は三分冊で、代表的短編65編が収録されている。第一巻は作者の郷里ノルマンディーの田舎に材を取り、農民らの生活を描いたもの。第二巻はパリの小市民の日常を描いたもの。第三巻には戦争ものと怪奇ものが収められている。

 ちょっと意外だったのが、モーパッサンの師がフローベールだったということ。フローベールと言えば、『ボヴァリー夫人』や『感情教育』など、緻密な文体と対象に対する冷徹な視線で描かれた自然主義の傑作が思い浮かぶが、モーパッサンの短編はそうしたフローベールの作風とは対照的に、ユーモア短編、恋愛もの、小市民の喜怒哀楽など、生の生々しさ、猥雑さが生き生きと描き出されているのだ。

 チェーホフの代表的な短編と比べても、モーパッサンは滑稽味や皮肉が強く、粗削りな印象を受けるが、その代わりに、ままならない生そのものを笑い飛ばすしたたかさ、鉈でぶったぎるような豪快さがある。その特徴は特に第一巻ノルマンディーの田舎生活を描いた短編に色濃く表れている。

 例えば「トワーヌ」卒中で倒れて半身不随になったじいさんの寝床で婆さんが鶏の卵を返そうとする。この乱暴な感じがいい。「トワーヌ」にも驚いたが、犬好きは「ピエロ」を読んだらショック死すると思う。「トワーヌ」にしろ、「ピエロ」にしろ、今では様々な「配慮」に阻まれて活字にならないのではないだろうか。

 パリの小市民生活の第二巻は一転、嫉妬や浮気心、上流人士への羨望といった主題が現れ、都市生活の倦怠感や厭世観に覆われる。趣味の釣りの場所取り争いが悲劇に発展する「あな」、家族への見栄がみじめな結果に帰す「馬に乗って」、やりくり上手で美しい妻の死後、夫が妻の別の一面に気づく「宝石」など、出口なしの作品が多く、田舎生活を描く短編の陰画になっているのがおもしろい。

 モーパッサンの短篇を読んでみようと思ったのは、第三巻の怪奇物があったからだ。前半に戦争もの、後半に怪奇ものという構成になっているので、いちばん読みたかったのが最後になったわけだが、結果的にはそれでよかった気がする。モーパッサン自然主義の作家だということを再認識したのは、前半の戦争物によってである。

 戦争はごく普通の市井の人々理不尽な運命をもたらす。モーパッサンの戦争を題材にした短篇は、それをリアルに思い出させてくれる。戦争のありのままの現実が読者に強い印象を残す。そういう意味で「二人の友」や「母親」「ミロンじいさん」などの戦争物はモーパッサンの短篇の中でもそぎ落とされた美しさ、完成度の高さを感じさせる。

 超自然的現象を描く「オルラ」「たれぞ知る」「手」などは、怪奇ものとして十分楽しめたが、怪奇小説を読みなれた読者からすると物足りなさを感じるかもしれない。主人公の精神錯乱を扱った「オルラ」や「たれぞ知る」はSFやファンタジーとしての読みの可能性は残すものの、ポーの亜流という印象をぬぐえない。「手」はイギリスの怪奇小説を連想させる古典的な味わいだ。好みの問題でもあるだろうが、ぼくはむしろ奇を衒わない「山の宿」が恐怖小説としても、自然主義小説としてもおもしろいと思った。孤独が人間を蝕む過程を描く「山の宿」は、ちょっと『シャイニング』を連想した。

 新潮文庫に入っているモーパッサンの短編を読む限り、いわゆる「怪奇小説」より市井の人々を描く短編の中にこそ、理不尽な運命が人間をとらえる恐怖が見え隠れしている。読者は知らず知らずのうちに「これはもう怪奇ものだな」とつぶやいているのだ。

<収録作>

モーパッサン短編集Ⅰ』

「トワーヌ」「酒樽」「田舎娘のはなし」「ベロムとっさんのけだもの」「紐」「アンドレの災難」「奇策」「目ざめ」「木靴」「帰郷」「牧歌」「旅路」「アマブルじいさん」「悲恋」「未亡人」「クロシュート」「幸福」「椅子なおしの女」「ジュール叔父」「洗礼」「海上悲話」「ピエロ」「老人」

モーパッサン短編集Ⅱ』

「あな」「蠅」「ポールの恋人」「春に寄す」「首かざり」「野あそび」「勲章」「クリスマスの夜」「宝石」「かるはずみ」「父親」「シモンのとうちゃん」「夫の復讐」「肖像画」「墓場の女」「メヌエット」「マドモアゼル・ベルル」「オルタンス女王」「待ちこがれ」「泥棒」「馬に乗って」「家庭」

モーパッサン短編集Ⅲ』

「二人の友」「狂女」「母親」「口ひげ」「ミロンじいさん」「二十九号の寝台」「捕虜」「ヴァルター・シュナッフスの冒険」「廃兵」「従卒」「恐怖」「オルラ」「たれぞ知る」「手」「水の上」「山の宿」「狼」「月光」「パリ人の日曜日」