苦悩と悲しみのかたち 藤枝静男『悲しいだけ・欣求浄土』
藤枝静男の短編「一家団欒」を最初に読んだのは集英社文庫の筒井康隆選『実験小説名作選』というアンソロジーで、死んだ主人公の章が市営バスで郊外の墓地に出かけ、家族が待つ墓下に自ら入り家族と再会するという話。藤枝静男には奇想天外な『田紳有楽』があるように、「一家団欒」もまた一つの幻想譚として読むこともできる。そうした文脈で十分楽しめる話ではあるのだが、それでは終わらせることができない疑問が残った。今回のレビューはその疑問点から出発する形で書いてみたい。
僕はこの話を読んで驚いたことが二つある。一つは、作中人物の軸足があの世にあると言うこと。死者との再会というモチーフは笙野頼子の『二百回忌』のように死者がこの世に戻ってくるという形で描かれることが多い。小説の視点人物は生きているのだから、当然と言えば当然のことだ。しかし、「一家団欒」の主人公章はすでに死んでおり、自ら死者の世界に赴き、家族との再会を果たす。もう一つは、この世とあの世がなめらかに接続されており、章は何の困難も手続きもなく、この世からあの世に入っていくという点だ。
藤枝静男は「一家団欒」においてなぜ幽明の境を描かなかったのか、なぜ主人公が死者としてあの世に赴くという「転倒」した話にしたのか、そこが衝撃でもあり、「一家団欒」を読んだだけでは、解消されない疑問として残るのである。
「一家団欒」は独立した短編ではなく『欣求浄土』という連作短編の中の一篇である。「一家団欒」を連作短編集『欣求浄土』の最後の一篇として読むと、独立した短編として読むのとは全く異なる側面が見えてくる。『欣求浄土』は作者と等身大の主人公章が様々な場所を訪れ、自然の風物や歴史の遺物を見て回る様子がたんたんと描かれる。「欣求浄土」(サロマ湖の砂洲、浜名湖の開口部)、「土中の庭」(沼、遺跡/円形の土の窪)「沼と洞穴」(沼、洞穴)「木と虫と山」(樹齢千年の巨木)「天女御座」(茶の木の巨木)といった具合だ。
わざわざ一篇の短編にしてまで砂洲、河口、遺跡、沼、洞穴、巨木とったものを見て回ることを描くのにどのような意味があるのか、その時々に主人公章の述懐はあるものの、思いの記述よりは彼の行為そのものに目を向けたい。『欣求浄土』は全部で七篇の短編で構成されており、三つの層に分かれている。
上にあげた「欣求浄土」から「天女御座」までの第一層。ここでは章が文字通り「浄土」を求めて彷徨する。さらに第二層にあたるのが「厭離穢土」。その冒頭はこうだ。「とうとう章が死んだ」三人称で書かれていたとはいえ、章はそれまで連作短編を通しての視点人物だったわけで、突然登場する「私」なる章の友人とおぼしい人物が登場するのは、違和感がぬぐえない。それはともかく、章は癌で亡くなった。彼の遺したノートの内容が「厭離穢土」である。最後に第三層。死んだ章が墓下で家族と再会する「一家団欒」
このように見てくると『欣求浄土』という連作短編全体が死者との再会をめざす試みであるかのように思える。「厭離穢土」の中にdas Ekel(嫌悪)という語が出てくる。トーマス・マンの短編「道化者」の基調を成す語として何度も登場する語で、章は「嫌悪の情以外の眼では見ることのできない社会全体に投げつける形容詞として」受け入れたという。嫌悪に満ちた世界は章自身の罪の意識、性的な煩悩の苦しみなどの裏返しであり、世界への嫌悪と自身へのそれは等価である。死の直前に書き残されたノートの告白めく文言は、章がどんな思いを抱えて砂洲、河口、遺跡、沼、洞穴、巨木といった事物を見ていたかを示すと同時に、そうした事物がかたちのない苦悩や悲しみにかたちを与えていたとも言える。
砂洲、河口、遺跡、沼、洞穴、巨木などが凹型を連想させる(巨木には大きな洞があることが描かれていた)形象であることも示唆的で、死者の世界、他界へと至る過程に必要な現世における準備運動のようなものだったに違いない。だからこそ章は死を経て至る第三層「家族団欒」では、ふだんのお出かけと変わらず「市営バスに乗って」郊外の墓地へ出かけ、そのまま何の苦もなく他界へと入ることができたのである。
『悲しいだけ』では、長く病魔に苦しめられた妻の死と「私」の悲しみが描かれるが、ここでも「私」は見る人であり、外界の様々な形象に投影され、フィードバックされる形で「私」は悲しみの言葉を紡ぐことができる。
「『妻の死が悲しいだけ』という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している。これまでの私の理性的または感覚的の想像とか、死一般についての考えとかが変わったわけではない。(…)ただ、今はひとつの埒もない感覚が、消えるべき苦痛として心中にあるのである。」「今は悲しいだけである」(『悲しいだけ』「悲しいだけ」)
<収録作>
『欣求浄土』
「欣求浄土」「土中の庭」「沼と洞穴」「木と虫と山」「天女御座」「厭離穢土」
「一家団欒」
『悲しいだけ』
「滝とビンズル」「在らざるにあらず」「出てこい」「雛祭り」「悲しいだけ」「庭
の生きものたち」「雉鳩帰る」「半僧坊」
