才人春夫のモチベーション 佐藤春夫『美しき町・西班牙犬の家 他六篇』

 

美しき町・西班牙犬の家 他六篇 (岩波文庫)

美しき町・西班牙犬の家 他六篇 (岩波文庫)

  • 作者:佐藤 春夫
  • 発売日: 1992/08/18
  • メディア: 文庫
 

 本書『美しき町・西班牙犬の犬 他六篇』には表題作など、実に多彩な短編が全部で八篇収録されている。編者はドイツ文学者でエッセイストの池内紀。若くして遺産を手にした青年が友人の画家と老建築家を雇い、理想の町に日夜没頭する「美しき町」、散歩の途中で迷い込んだ雑木林で不思議な家を見つける「西班牙犬の家」など、ファンタジー色の色濃い作品から中国に取材した「星」「李鴻章」、自らの不器用さが仇になり、罪を犯した外科医が語る一人称小説「陳述」、著者の出身地紀州に伝わる山海の怪異を描く随筆風の「山妖海異」など一作ごとスタイルが異なっている。中でもパリに遊学中の無名画家を描いた「F・O・U」はタイトル通り佐藤春夫版『白痴』とも言える傑作。

 収録された作品の中でも生と虚構の関係をアイロニカルに描いた作品が興味深い。「美しき町」の青年富豪は自らの理想を一つの町を建設することで実現させたいという壮大な夢を持って、旧友の画家と老建築家を雇い入れ、ホテルの部屋を借り切って日夜作業にいそしむが、実は青年は富豪ではなく、すでに文無しのペテン師だった。これまでの作業はすべて水泡に帰すが、それでも三人が一つの夢を見た、その事実までは消えることはないし、自分は富豪であり、理想の町を建設できる資金力があるのだという嘘がなければ、彼らが夢を見ることもできなかった。

 生きることは何らかの嘘(虚構)を必要とする。同時に嘘はじわじわとその人の人生を蝕みもする。「F・O・U」もまた、そのあたりの消息を実に見事に描き切っている。パリに遊学する無名画家イシノは高貴な雰囲気を漂わせ、いつも柔和な笑みを浮かべている。あたかも「高貴な人」である。日本に妻子がありながら、フロオランスという女と同棲している。フロオランスは地方に城を持つ由緒ある家柄の娘で、イシノはフロオランスと一緒になるために兄に金を無心したり、娘を自分とフロオランスの正式な娘として迎え、妻を使用人として呼び寄せようとしたりする。正気の沙汰ではない。実のところイシノは何度も精神病院に入退院をくりかえしている。一方のフロオランスも地方に城を持つ有力者の娘というのは嘘で実は街の女だった。嘘(虚構)が彼らの生きる動機になっていた。

 編者がことさら一作ごと趣向の異なる作品を選んだということはあるだろう。それにしてもこの作風の違いは、それだけで驚きだ。まさに「才人春夫」である。しかし、それは決してプラス評価につながっているわけではないようだ。文庫解説には小林秀雄による「佐藤春夫論」の次のような一節が引用されている。「現代、一流作家とよばれている人々の間で、佐藤氏ほどまとまらない作家はないであろう」

 昭和10年、内田百閒の八冊目の作品集『鶴』が刊行されたとき、佐藤春夫は「少々種切れの態に拝察した」(「慷齋先生失眠餘」)と揶揄したが、百閒は「種を早く吐き出してしまわなければ本当のものを作り出せない」(「鶴の二声」)と反論した。これなど両者の作家的資質の違いがよく表れている。

 日本では一途に一つのテーマを探求する作家が評価される傾向にある。「まとまらない」。詩、小説、戯曲、随筆、評論と様々なジャンルで高い水準の作品を残した佐藤春夫だが、多才であることが必ずしも評価につながるわけではないのである。確かにこの短編集を読む限り佐藤春夫に探求すべきテーマがあったとは思えない。「書ける」これが佐藤春夫の最大のモチベーションだったのではないだろうか。「西班牙犬の家」には(夢見心地になることの好きな人の為めの短篇)という副題がついている。夢であれば、当然覚醒もする。醒めたらまた次の夢のために筆を執るまで。佐藤春夫はそんな風に様々なスタイルで書き継いでいったにちがいない。であれば「まとまらない」ことなど些末なことでしかない。(5月13日加筆訂正)

<収録作>

「西班牙犬の家」

「美しき町」

「星」

「陳述」

李鴻章

「月下の再会」

「F・O・U」

「山妖海異」