玄関先に立つ客 色川武大『怪しい来客簿』

 「お前はいつも本気になっていない」と教師がいった。「向上心がかけておる。この世には尊いものと、賤しいものとがあるがね。お前は自分がどうなろうとしているか、わかるか」
「どっちにもなりたいです」と答えた。そして、間合いをはかって捨てゼリフをいった。
「けれども、どうでもいいや」(「タップダンス」)

 色川武大は東京の中学校を中退後、戦後の混乱期、いろいろな職業を転々としたのちに作家になった人で、しだいに清潔になっていく世の中で、自分の存在をマイノリティーとして強く意識していたようです。
 『怪しい来客簿』はそんな色川武大が出会った人物交遊録。浅草の芸人、無名の力士、物乞い、闇市の物売り、売春婦、親兄弟、学校の教師…。作者が書きとめようとするのは、今では誰も覚えていないようなマイノリティーたちの生態です。
 何が尊くて、何が賤しいかという問いに対して、そんなことはどうでもいいという色川。そこに怪しげなものたちが引き寄せられてくる。
「亡くなった叔父が頻々と私のところを訪ねてくるようになった。(…)叔父は生きている頃と同じように、や、といいながら、すっすっとあがりこんでくる」(「墓」)
 『怪奇な話』同様、怪奇現象に対して語り手の態度はとてもさりげない。こんなことはごく普通のことにすぎないんだといわんばかり。『怪しい来客簿』では貴賤の区別どころか、生死の区別さえなくなっている。これって、めちゃめちゃ研ぎ澄まされているんですよ。だから、望むと望まざるとにかかわらず、「来客」が玄関先に立つ。それがわかるんです。