2017-01-01から1年間の記事一覧

「厭でござりまする」 幸田露伴『五重塔』

五重塔 (岩波文庫)作者:幸田 露伴岩波書店Amazon「木理美(もくめうるわ)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫(あかがし)を用ひたる岩畳作(がんじょうつく)りの長火鉢に対(むか)ひて話し適(がたき)もなく唯(ただ)一人、少しは淋しさうに坐(…

飛躍の瞬間 栗田有起『蟋蟀』

蟋蟀 (小学館文庫)作者:有起, 栗田小学館Amazon「あああ、もう、たまらないわ。先生。先生。これから連続側転するから、見ててください」(「あほろーとる」) 栗田有起の小説には飛躍の瞬間がある。 若くてかわいくて仕事もできる秘書。彼女に恋心を抱く大…

女の一生 水村美苗『本格小説』

本格小説(上) (新潮文庫)作者:美苗, 水村新潮社Amazon(ネタバレ)水村美苗のような作家のことをどう考えたらいいのだろうか。彼女は何よりもまず、読者である。憑かれたように小説を読み漁っていた時期があったにちがいない。水村美苗の最初の小説『続明…

日常に落ちる影 山本昌代『手紙』

手紙作者:山本 昌代岩波書店Amazon ずっと続くもの、たいくつなもの、それが日常だと思っていたというより、思い込もうとしていた。最近、病気して、日常がくるりと回転していつもと違う顔をみせた。それを非日常と言ってもいいけど、ある日大きく変わるのは…

日常のラベルをはがす 尾辻克彦『肌ざわり』

肌ざわり (河出文庫)作者:尾辻 克彦河出書房新社Amazon 何となくテレビを見ていたら、赤瀬川原平が出ていた。蟹の缶詰のラベルをくるりとはがし、それを缶の内側に貼る。再びふたを閉じる。それで「宇宙の缶詰」の完成である。「蟹缶の宇宙」。椅子やかばん…

神話としてのベースボール ラードナー『ラードナー傑作短篇集』

アリバイ・アイク: ラードナー傑作選 (新潮文庫)作者:ラードナー,リング新潮社Amazon 野球というスポーツが好きだ。ベースボールではなく、野球。その昔、藤井寺球場という球場があって、近鉄バファローズというチームがあった。ぼくはそこで野茂も松坂もイ…

19世紀娯楽小説のすごみ ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』

デイヴィッド・コパフィールド(1) (新潮文庫)作者:チャールズ ディケンズ新潮社Amazon『ライ麦畑でつかまえて』の冒頭、ホールデンは自分の幼少期はどうだったとか、自分が生まれる前、両親は何をしていたかとか、そんなデイヴィッド・コパフィールドみた…

さよならを言うのは難しい レイモンド・チャンドラー『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』

長いお別れ ハヤカワ・ミステリ文庫 HM 7作者:レイモンド・ チャンドラー,清水 俊二早川書房Amazon「おれたちにはパリがある」 映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードのセリフだ。抵抗運動の指導者である男は、ナチの手を逃れ、仏領モロッコにやって来…

迂回の果てに カズオ・イシグロ『充たされざる者』

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)作者:カズオ イシグロ早川書房Amazon カズオ・イシグロといえば、各国でベストセラーになった『わたしを離さないで』を思い出す人も多いだろう。あるいは、ブッカー賞受賞作『日の名残り』。ぼくは本書『充たされざる者』以…

書物と世界の関係 その2 スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』

黒い時計の旅 (白水uブックス)作者:スティーヴ エリクソン白水社Amazon 柴田元幸印とでもいうか、柴田さんが訳してるんだから間違いないだろうと思って本を手に取ることがある。ポール・オースターとか、スティーヴン・ミルハウザーなんかがそうだった。ステ…

もうひとつなにか別のものをひっぱってくること 村上春樹『騎士団長殺し』

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編作者:村上 春樹新潮社Amazon (ネタバレ)新潮社のハードカバーの帯には『1Q84』から7年と銘打たれた文字が踊り(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』からいうと4年だけど、それはともかく)、出版社や書店とし…

書物と世界の関係 その1 フィリップ・K・ディック『高い城の男』

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)作者:フィリップ・K・ディック早川書房Amazon「もう一つの事実」 これはトランプ大統領就任式の際、聴衆の数をめぐって飛び出した発言だ。明らかに聴衆が少なかったのに、大統領報道官は「過去最大の聴衆だった」とした。こ…

和製ハードボイルド 柴田錬三郎『御家人斬九郎』

御家人斬九郎 (集英社文庫)作者:柴田 錬三郎集英社Amazon ハードボイルド小説と言えば、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』とか、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』などで活躍する私立探偵たちが思い浮かぶ。「タフで情に流されない」と形…

日記ではなく 穂村弘『にょっ記』

にょっ記 (文春文庫)作者:穂村 弘文藝春秋Amazon「日記」ではなく、「にょっ記」。「にょっ」の分だけ「日記」からずれている。 「記」の分だけ「日記」につながっている。 私は混んだ電車に立っていた。 目的の駅に着いたので、おりまーす、と呟くと、前に…

死者のいる場所 藤野千夜『君のいた日々』

君のいた日々 (ハルキ文庫)作者:藤野千夜角川春樹事務所Amazon もう20年以上前のことだけど、大学のゼミで内田百閒の『ノラや』について、当時の百閒は何を見ても何かを思い出す状態だったと思うと言った。それを聞いたK先生はちょっと考えて、「ボケてるん…

仕事と人生の距離 津村記久子『この世にたやすい仕事はない』

この世にたやすい仕事はない作者:津村 記久子日経BPマーケティング(日本経済新聞出版Amazon デスクワーク、それもコラーゲンの抽出を見守るような変化のない仕事。主人公の「私」(36歳・女性)は、ハローワークのベテラン相談員・正門さんにこんな希望を言…

戦争の影 吉行淳之介編『奇妙な味の小説』

奇妙な味の小説 (中公文庫)中央公論社Amazon アンソロジーの楽しみの一つは、一冊でいろんな作家の作品を読めることだ。本書『奇妙な味の小説』が吉行淳之介によって編まれたのは、1970(昭和45)年。もう半世紀(!)近く前(中公文庫版は1988年)。したが…

「人生というものは…」 マンスフィールド『マンスフィールド短編集』

マンスフィールド短編集 (新潮文庫)作者:マンスフィールド新潮社Amazon 長編作家、短編作家という言い方があるけど、マンスフィールドは典型的な短編作家だ。ニュージーランド出身で、ロンドンに留学後イギリスで作品を発表した。34歳という若さで病没するま…

少年の世界 その3 ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』

蠅の王 (新潮文庫)作者:ウィリアム・ゴールディング新潮社Amazon ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』を読んだついでに、その裏バージョンとも言える『蠅の王』を手に取ったのだけど、「ついで」で読むような気軽な本ではなかった。 時は近未来。第三次…

パリという入れ物 ヘンリー・ミラー『北回帰線』

北回帰線 (新潮文庫)作者:ヘンリー ミラー新潮社Amazon『北回帰線』は、ヘンリー・ミラーが1930年代のパリを放浪した体験をもとにした自伝的処女作であると言ったところで、何を説明したことにもならないだろう。松岡正剛は書評サイト「千夜千冊」意表篇649…

分裂する小説世界 アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』

そして誰もいなくなった (クリスティー文庫)作者:アガサ・クリスティー,青木 久惠早川書房Amazon アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』は、推理小説として破格だ。アガサ・クリスティーと言えば、エルキュール・ポアロやミス・マープルなどの探…

右手と左手の攻防 大岡昇平『野火』

野火(のび) (新潮文庫)作者:昇平, 大岡新潮社Amazon『野火』という小説のことを戦争文学だと思っていた。フィリピンのレイテ島で喀血した主人公「私」(田村)は所属部隊からも野戦病院からも追い出され、しばらくは同じように行き場を失った兵士たちと暮ら…