仕事と人生の距離 津村記久子『この世にたやすい仕事はない』

 デスクワーク、それもコラーゲンの抽出を見守るような変化のない仕事。主人公の「私」(36歳・女性)は、ハローワークのベテラン相談員・正門さんにこんな希望を言う。
「やりがいはあったが、質量ともに慢性的に仕事に裏切られているような感じ耐えられず、前職を辞め(…)」「仕事を愛してはいたが職務に敗れて(…)」(「第1話 みはりのしごと」)
 監視カメラを見張る仕事、バスの車内アナウンスを作る仕事、おかきの袋の裏に印刷される「豆知識」を考える仕事…。大学卒業以来14年間勤めた職場を辞めた「私」は、正門さんに様々な仕事を紹介される。それらの仕事を通じて、再び最初の仕事に戻る決意をするまでを描く連作短編集。作者の津村記久子は「ポストスライムの舟」(2009)で芥川賞を受賞しているが、ぼくは初めて読んだ。いろいろと思うところがあったのは、ぼく自身が、この3月に10年以上勤めた職場を辞めたからだ。仕事そのものがいやになったわけではないけど、組織のありかたや方針に納得できないことが多かった。目をつぶって働くという選択肢もあったかもしれないが、そうすることで自分がひどくいやだと思うものを肯定していることになるのがいやだった。
『この世にたやすい仕事はない』がおもしろいのは、仕事の困難さを仕事と人生の距離としてとらえているところだ。
「今のあなたには、仕事と愛憎関係に陥ることはおすすめしません」と正門さんは言う。自分の人生と仕事との距離が近すぎると、どれだけ注意していても、だんだん求めるものが大きくなっていく。きっとぼくが仕事を辞めたのもその一例だろう。仕事に達成感ややりがいを求めず、日々の糧を得るために自分の時間を切り売りしているに過ぎないと思っていれば、感情は大きく動くことはない。とはいえ、仕事に費やされる時間は大きい。ほんとうにそれで満足できるものなのか。
 結局のところ、それは生き方、選択の問題になる。人生と仕事の距離にどこまで自覚的に仕事を選ぶかが問われているのだと思う。
 ちょっとまじめなことを書きすぎたかもしれない。この小説がいかに読み物としてよくできているかという点も触れておきたい。世の中にはこんな仕事が? と言いたくなるような意表をつく仕事たち。そして、連作を通じて次第に明らかにされていく主人公の最初の仕事と辞職に至る経緯、さらに短編一つ一つに小さな謎解きの要素と独特のユーモアがある。最後の「第5話 大きな森の小屋での簡単なしごと」で主人公の「私」が、いわば森に隠れたもう一人の自分を見出していく過程のさりげなさと鮮やかさは、ほんとにうまいなと思う。
 共感したのは「第1話 みはりのしごと」で監視対象である小説家(作者の分身?)がパソコンの画面に書き込んだことば。そこにはひとこと「仕事したくない」
 「私」はそれを見て「まあな」と思う。そう、お仕事はあまくない。