戦争の影 吉行淳之介編『奇妙な味の小説』

 アンソロジーの楽しみの一つは、一冊でいろんな作家の作品を読めることだ。本書『奇妙な味の小説』が吉行淳之介によって編まれたのは、1970(昭和45)年。もう半世紀(!)近く前(中公文庫版は1988年)。したがって、昔のアンソロジーを読むということは、当時の人気作家を知ることができる、タイムカプセルのようなおもしろさもある。収録されている作家は、星新一安岡章太郎柴田錬三郎結城昌治小松左京河野多恵子山田風太郎阿川弘之近藤啓太郎生島治郎開高健吉行淳之介筒井康隆森茉莉五木寛之島尾敏雄(掲載順)と、硬軟取り混ぜた顔ぶれになっている。
 タイトルになっている「奇妙な味」は、江戸川乱歩が探偵小説の本格作品に対する非本格作品に共通した雰囲気があることを発見し、名付けたもの。乱歩はこれを「ユーモアの裏に、一種あどけない残酷味」とか「全然私利私欲に関係のない一種無邪気な残虐」などと評しているが、編者・吉行淳之介は、この乱歩のいう「奇妙な味」を拡大解釈し、「奇妙な後味が残ればそれでよし」「いわば底味のようなもののある作品」を選んだという。なるほど、探偵小説における本格/非本格といった区分けではなく、「奇妙さ」そのものに焦点を当てるなら、選べる作品が増えるし、作家の意外な側面も知ることができる。
 おそらく乱歩の定義に最も近いのは結城昌治の「うまい話」だろう。だましだまされる犯罪計画があらぬ結末を迎えるだけでなく、いわく言い難いユーモアがある。これはちょっと違うかなというのは、森茉莉の「黒猫ジュリエットの話」は、猫の視点で書かれた饒舌な私小説的作品。定義からの遠近はあっても、編者が太鼓判を押すだけあって、確かに「水準の高いもの」であることはまちがいない。
 このアンソロジーを読み終わって、おそらく編者の意図とは全く違うところで奇妙な感覚に捉えられた。それは柴田錬三郎小松左京開高健五木寛之島尾敏雄ら、本書に収録された作品の多くに戦争の影が落ちていることである。直接戦争を扱っているのではない。1970年代が復興の影にまだまだ戦争の記憶があったということだろう。清算が終わっていなければ、あれは何だったのかという、戦争の記憶はずっと言葉にならない「奇妙なもの」として残り続ける。そんな思いにとらわれた作品集でもあった。