詩情とはかなさ レイ・ブラッドベリ『メランコリイの妙薬』
- 作者: レイブラッドベリ,Ray Bradbury,吉田誠一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 32回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
ある作家について、長編がいいか、短編がいいかというのは、簡単に言えることではないし、好みの問題にすぎないと言われるかもしれない。試みにウィキペディアのレイ・ブラッドベリの項目を見てみよう。長編小説が11作。短編集が25作。長編に分類されているものの中に『火星年代記』があったり、短編集の中には自選短編集など再編集されたものが含まれているので、単純には比較できないが、それでも短編集が多いことは間違いない。
そんなことを考えたのは、22篇の短篇が収められた短編集『メランコリイの妙薬』を読んだからだ。好みからいうと、レイ・ブラッドベリは短篇のほうがいい。『メランコリイの妙薬』に収録されている短篇もSF風のものから、ファンタジー、ユーモア短編、ホラー、奇妙な味と言えるものまで、実にバラエティーに富んでいる。それだけでも楽しいのだが、それぞれの短篇がたがいに異なる外見を持ちながら、呼び交わすかのようにイメージやモチーフを通底させているのだ。
例えば夏の休暇中の浜辺で美術の熱狂的な崇拝者がピカソに出会う「穏やかな一日」。戦後の廃墟が広がる近未来とおぼしい世界で、少年が旧世界の名画「モナリザ」に出会う「ほほえみ」。どちらも物質としての作品は失われるが、その本質である美そのものは、何らかの形で生き続ける。「穏やかな一日」の男は、美の生まれる現場に立ち会ったという興奮が冷めやらぬまま妻と夕食のテーブルにつく。男は妻に耳をすますように言う。「潮がさしてきたんだよ」(「穏やかな一日」)
こういうラストの詩情はまさにレイ・ブラッドベリ一流のものだ。次元の異なる体験が潮の音、月や星といった自然のリズムにシンクロし、日常を突き抜けていく。
あるいは『火星年代記』の外伝とも言える火星を舞台にした「金色の目」と「いちご色の窓」。前者は火星に移住したものの、頑固に火星のものを受け付けようとしない男がしだいに変わっていく様子が、後者は自覚的に火星を家(ホーム)と定めようと決意する男とその家族が描かれる。「もう一人のぼくは地球(ホーム)に帰りたがっている。だけど、別のぼくは帰れば何もかも終わりだ、とつぶやく」(「いちご色の窓」)何もかも移ろい、その形を変えていく。
それは「金色の目」の頑なに地球の流儀にこだわる男も例外ではなく、気がつくともう「地球人」でさえないし、『火星年代記』に至っては、地球人も火星人も姿を消してしまうが、移ろうはかなさのあとに、カメラがぐっと引いて視野が広がる映画のラストシーンのようなすがすがしさと詩情を残せるのがレイ・ブラッドベリなのだと思う。
最も印象に残った短篇は「すべての夏をこの一日に」。7年降り続く木星の雨がやみ、つかの間太陽が顔を見せるという一日を、子供たちのはしゃぎっぷりと残酷さを通して描いた異色の短篇。江國香織がいじめとSFを融合させて短篇を書いたらこんな感じになるだろうか。SF風味の「奇妙な味」としてぜひ読んでみてほしい。
<収録作>
「穏やかな一日」
「火龍」
「初めの終り」
「すばらしき白服」
「熱にうかされて」
「結婚改良家」
「誰も降りなかった町」
「サルサのにおい」
「かつら」
「金色の目」
「ほほえみ」
「四旬節の最初の夜」
「旅立つ時」
「すべての夏をこの一日に」
「贈りもの」
「月曜日の大椿事」
「小ねずみ夫婦」
「たそがれの浜辺」
「いちご色の窓」
「雨降りしきる日」