廃墟に吹く風 レイ・ブラッドベリ『火星年代記』

火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

 

  レイ・ブラッドベリの『火星年代記』を読んだ友人が、タイトルは知ってたけどこんな話やったんや、おもしろかったと言っているのをうんうんと聞いていたが、内容をすっかり忘れていて内心穏やかではなかった。で、再読。こんな話やったんや。

火星年代記』は26篇の短篇から成るSF連作短編集。最初の火星探検隊のロケットが打ち上げられ、地球人の火星入植、街の建設と火星人の滅亡、突然の地球への帰還、そしてすべてが廃墟と化すまでの数十年間を描いている。

火星年代記』はSFの抒情詩人と言われるレイ・ブラッドベリの文明批評家の側面がはっきり現れた作品だ。『火星年代記』が出版された1950年と言えば、アメリカが最も豊かな時代を迎えようとしていた時期であり、同時に東西冷戦が本格化した時代でもある。物質文明がもたらす豊かさへの疑問やイデオロギーの対立による核戦争への不安、あるいはマッカーシズムに代表される自由な精神活動への弾圧などが作品に色濃く影を落としている。

「二〇〇一年六月 月は今でも明るいが」に登場する第四探検隊の考古学者スペンダーは、他の隊員たちがかつて栄えた火星人の文明に全く敬意を払わない態度にいら立ちを募らせる。

「わたしたちはこの火星をどこかから必ず汚し始めますよ。運河をロックフェラー運河と呼び、ルーズベルト市や、リンカン市や、クリッジ市が誕生しますよ」

 もとからある歴史をなきものにし、自分たちの文明を上書きする行為は歴史上何度も行われてきたが、やはりアメリカ先住民への侵略行為を思い出さずにはいられない。隊員たちは火星人の遺物に対して傍若無人なふるまいを止めず、スペンダーのこのあと同僚の隊員数名を殺して逃亡する。

 あるいは「二〇〇三年六月 空のあなたの道へ」。火星への移住ブームが押し寄せ、南部の黒人たちもまた火星をめざす。そんな中、自分の使用人である黒人の少年を火星に行かせまいと嫌がらせをする白人ティースに少年が最後に言い放つ一言。

ティースさん、これから毎晩何をするんですか」

 これは黒人がいなくなったら、夜な夜な黒人をリンチし、木につるすこともできなくなりますねという痛烈な皮肉である。アメリカ史の暗部をはっきり描いたこれらの短篇から読み取れるのは、文明批評というより人間の愚かさに対する直接的な怒りと絶望である。

 ブラッドベリが描いているのは、人間の弱さなどという人間を中心に置いた思想ではなく、もっと突き抜けたものだ。その突き抜け感がもう一つの特徴である叙情的な美しさを生んでいる。

「二〇〇二年八月 夜の邂逅」は本来出会うはずのない異なる時間を生きる火星人と地球人が交錯する奇跡を描いている。彼らが「お化けだ!」「亡霊だ!」と言い合う場面は、どちらも失われたものであるがゆえに美しく輝いて見える。

 ロボットの家族が楽しげに暮らす「二〇二六年 長の年月」や、地球をまるごと戦争の霧に包んでしまった「二〇二六年 百万年ピクニック」には、火星人も地球人も滅んだ後の寂寞としたすがすがしさがある。かつて栄えた文明の廃墟に心地よい風が吹く。ただ、その場所にはその風を感じる火星人も地球人もすでにいない。

 レイ・ブラッドベリの叙情性の芯には、冷たくて硬いものがある。『火星年代記』が人類の文明の行く末を暗示しているとすれば、明らかにある時点ですべて滅び去った後、作者も読者も廃墟に吹く風を感じてみたいと願う瞬間がある。それでいいんじゃないかと思うくらいそこは美しい。