大人になること、年をとること レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』

 

何かが道をやってくる (創元SF文庫)

何かが道をやってくる (創元SF文庫)

 

 「クガー・アンド・ダーク魔術団 開演迫る!」 

 ジムとウィルが見つけたビラにはこんな文字が躍っていた。刺青男に魔女、絶世の美女に骸骨男、そう、ハロウィンに機関車の汽笛を響かせてカーニバル団がやって来たのだ。カーニバル団の陣取った広場には巨大なテントが張られ、鏡の迷路や回転木馬が子供たちがやって来るのを待っていた。

 しかし、このカーニバル団には恐ろしい秘密が隠されていて、偶然その秘密を知ってしまったジムとウィルは、カーニバル団の一味に追われることになる。読み始める前は、心浮き立つ楽しい話なのかと思っていたが、意外なほど、ダークで苦い味わいのファンタジーだった。(以下、ネタバレ)

『何かが道をやってくる』に限らず、ファンタジーには疑似的な死と再生の体験を通して、子供が大人になるという通過儀礼的なお話が多いし、この作品もそういうモチーフを持っているが、本書に特徴的なのは、13歳のジムとウィルという少年二人組の通過儀礼だけにとどまらず、大人が年をとることの難しさを実に苦い認識とともに物語るところだろう。ウィルの父親チャールズ・ハロウェイは自分がもう若くないということをしきりにこぼすだけでなく、少年を追う盲目の魔女から「お年寄り」と言われたりする。

 否応なしに人を追い立てていく非情な時間の流れ。ハロウィンにやって来たカーニバル団が可視化し、誘惑の罠を仕掛けるのは、時間に対する漠然とした不安感である。自分はこのまま年をとっていくだけなのか、誰もが持つそうした不安は、チャールズ・ハロウェイの場合、若い妻、そして13歳の息子と対比的に描かれることにより、さらに浮き彫りになる。

 少年たちが知ってしまったカーニバル団の秘密というのは、まさにこの時間に関わるものだ。カーニバル団の回転木馬はそれに乗って回転すると、その回転の数だけ年齢が若返る、反対に逆回転するとその数だけ年をとるという不思議な力がある。好奇心が旺盛なジムは回転木馬に乗って、大人になってみたいと願っているし、もう若くないことを自覚している大人は、当然若返りたいと思う。

 ジムとウィルの学校の先生で50歳になるミス・フォレー先生がこの回転木馬の誘惑に打ち勝てなかったようだ。彼女は少女になってしまい、ただ驚きと恐怖で泣いているばかり。そして、ついにカーニバル団の団長である刺青男に捕らえられた二人の少年を助けるため、チャールズ・ハロウェイもカーニバル団に乗り込んで行く。すべてが終わったとき、夜の静寂の中にたたずむ回転木馬を見て、彼らはこう考える。

「たった三周だけ乗ろう、とウィルは思った」

「たった四周だけ乗ろう、とジムは思った」

「たった十周だけ逆にまわろう、と、チャールズ・ハロウェイは考えた」

 そしてお互いの目にその考えを読み取るのだが、彼らがどのような選択をしようとも私たちが人間であり、不可逆的な時間の中に生きている以上、クガー・アンド・ダーク魔術団はまたどこかで旗揚げするにちがいない。それを最も期待しているのは、いかんいかんと言って三人に回転木馬を破壊させた作者レイ・ブラッドベリ自身かもしれない。