2013-01-01から1年間の記事一覧

現実へ その1 穂村弘『現実入門』

現実入門―ほんとにみんなこんなことを? (光文社文庫)作者:穂村 弘光文社Amazon 危険な書物である。二度ほど電車の中で笑いをこらえきれず、ヘンな目で見られた。『現実入門 ほんとにみんなこんなことを?』というタイトルを書店の棚で見かけた瞬間、心臓がキ…

リアリズム小説の完成形 アイリス・マードック『鐘』

鐘 (集英社文庫)作者:アイリス・マードック集英社Amazon イングランド南西部グロスタシャーの森と湖に囲まれた僧院のかたわらで、信仰生活を営む一般人のための修道会。古文書研究のため修道会に滞在している美術史家で夫のポールのもとへ妻ドーラもやってき…

男が語る脱「男」 森岡正博『感じない男』

感じない男 (ちくま新書)作者:森岡 正博筑摩書房Amazon 世間に蔓延する制服フェチやロリコンの原因を「男の不感症」に求める森岡正博の『感じない男』がすごいのは、やはり男の性にまつわる体験や嗜好を徹底して一人称の主語で語っているところだろう。「男…

快楽と倦怠 開高健『ロマネ・コンティ・一九三五年』

ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説 (文春文庫)作者:開高 健文藝春秋Amazon 表題作のほか川端賞を受賞した「玉、砕ける」など6つの短編を収録した短編集。阿片、釣り、酒など大人のというか男の快楽をとことんまで味わい尽くそうとする作家の探求…

魂の両義性 フーケー『水妖記(ウンディーネ)』

水妖記―ウンディーネ (岩波文庫 赤 415-1)作者:フーケー岩波書店Amazon ドイツロマン派の作家フーケーによる異類婚姻譚。深い森を抜け、湖のほとりにある貧しい漁師の小屋に一夜の宿を求めた騎士フルトブラントは、そこで目の覚めるようなブロンドの美少女ウ…

「カメに似てるね」 北野勇作『かめくん』

かめくん (河出文庫)作者:北野 勇作河出書房新社Amazon かめくんはクラゲ荘という木造二階建てのアパートに住んでいる。最初、アパートの管理人ハルさんには「なんだ、カメなのかい」なんて言われもしたけど、入居できたのは、ちゃんと仕事をしているからだ…

悪の自覚 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』

鳩の翼(上) (講談社文芸文庫)作者:ヘンリー・ジェイムズ講談社Amazon ヘンリー・ジェイムズといえば、『デイジー・ミラー』などのいわゆる国際状況ものや奇妙な幽霊譚『ねじの回転』などで知られ、カフカやプルーストに代表される20世紀文学の先駆的存在なん…

1冊で3度おいしい 内田樹『映画の構造分析』

ハリウッド映画で学べる現代思想 映画の構造分析 (文春文庫)作者:内田 樹文藝春秋Amazon『エイリアン』とフェミニズムの関係とは? ヒッチコック映画における鳥の意味とは? スラヴォイ・ジジェクの『ヒッチコックによるラカン』に着想を得たという本書は、…

夢の効用と代償 ジョン・アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』

ホテル・ニューハンプシャー〈上〉 (新潮文庫)作者:ジョン・アーヴィング新潮社Amazon 一流ホテルを経営するという夢に取りつかれた男とその家族の物語、それが『ホテル・ニューハンプシャー』だ。アメリカ文学には、無垢なるものとしての夢に取りつかれ、そ…

真実の苦み 小谷野敦『聖母のいない国』 

聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)作者:小谷野 敦河出書房新社Amazon「北米文学を読む」という副題が付されている本書は、マーガレット・ミッチェル、マーク・トウェイン、ヘミングウェイ、サリンジャー、ジョン・アーヴィングといった有…

『成熟と喪失』に始まる 加藤典洋『アメリカの影』

アメリカの影 (講談社文芸文庫)作者:加藤 典洋講談社Amazon 江藤淳の長編評論『成熟と喪失』(1967年刊)は、小島信夫『抱擁家族』や庄野潤三『夕べの雲』といったいわゆる第三の新人の作品を取り上げ、高度成長下における「母」(女性、自然)の崩壊とその…

猫の行方 その4 平出隆『猫の客』

猫の客 (河出文庫 ひ 7-1)作者:平出 隆河出書房新社Amazon「運命ということばを好んでつかうつもりはないが、隣家から仔猫の訪れが繁くなるにつれて、しかし、このことばでしかいえないものがあると思うようになった」 平出隆の『猫の客』は昭和から平成に移…

猫の行方 その3 金井美恵子『タマや』

タマや (河出文庫)作者:金井 美恵子河出書房新社Amazon 金井美恵子の『タマや』(『文章教室』『小春日和』『道化師の恋』とともに目白四部作の一作)の冒頭は、何度読んでもくらくらするようなめまいと痛快さのいりまじったような感覚を覚える。 おねえっぽ…

猫の行方 その2 保坂和志『猫に時間の流れる』

猫に時間の流れる (中公文庫)作者:保坂 和志中央公論新社Amazon 猫を見ていると、何を考えてるのかなと思うことがよくある。犬を見てもそんな気持ちにはならない。犬はよくも悪くも人間によりそうように生きている。猫も同じように人のそばにいる動物なのに…

猫の行方 その1 内田百閒『ノラや』

ノラや (中公文庫)作者:内田 百けん中央公論新社Amazon『ノラや』は、内田百閒の飼い猫ノラの失踪とその後飼われた猫クルツに関する文章をあつめた作品集。昭和32年3月、ノラがふらっと家を出たまま帰ってこなくなった。その後の百閒の悲しみようは大変なも…

老人の情熱と青年の野望 バルザック『ゴリオ爺さん』

ゴリオ爺さん (新潮文庫)作者:バルザック新潮社Amazon「このわしの命は、ふたりの娘のうちにありますんじゃ。あの子たちが楽しい思いをし、幸せで、きれいな格好をしていれば、絨毯の上を歩くことができれば、わしがどんな服を着ていようと、どんなところで…

村上春樹による村上文学解説 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年作者:村上 春樹Bungeishunju/Tsai Fong BooksAmazon 多崎つくるは東京の電鉄会社の駅舎を設計管理する部署に勤めている。つくるには心を強く惹かれる女性がいる。二つ年上で、旅行会社で働く木元沙羅だ。つくるは彼…

働くということ その2 佐川光晴『虹を追いかける男』

虹を追いかける男 (双葉文庫)作者:佐川 光晴双葉社Amazon「わたしは汗かきな人間だ。わたしはこれといって特徴のない人間だが、誰かがわたしに向かって、あなたはどのような人間ですか? と尋ねるならば、わたしは汗かきな人間です、と答えるだろう。これは…

犯される女たち 丸谷才一『輝く日の宮』

輝く日の宮 (講談社文庫)作者:丸谷 才一講談社Amazon 『源氏物語』には「輝く日の宮」と題する巻が存在していたと考えた国文学者杉安佐子は、「日本の幽霊」をテーマにしたシンポジウムに参加した際、成行き上、その仮説を披露することに。シンポジウムにた…

働くということ その1 柴崎友香『フルタイムライフ』

フルタイムライフ (河出文庫)作者:柴崎 友香河出書房新社Amazon「書類を細かく切り刻むシュレッダーは、どういう仕組みになっているのかはわからないけれど、一度にたくさんの紙を入れることができない。ホッチキスの針もいちいち外さなければならない。(……

虚構への供物 中井英夫『虚無への供物』

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)作者:中井 英夫講談社Amazon 曽祖父が狂死、祖父は函館の大火で焼死、両親は昭和29年の洞爺丸沈没事故で溺死、氷沼家の暗い歴史に怯える蒼司、紅司兄弟、従妹の藍司の不安が現実のものとなる。密室状態の風呂場で紅司が…

断食芸人の系譜 ポール・オースター『偶然の音楽』

偶然の音楽 (新潮文庫)作者:ポール オースター新潮社Amazon 30年以上音信不通だった父親が亡くなり、ナッシュに20万ドルという遺産が転がり込んできた。妻に去られたばかりで、2歳の娘を姉夫婦に預けていたナッシュは、新車を買い、アメリカ全土をひたすら走…

死者にしてあげられること 白岩玄『空に唄う』

空に唄う (河出文庫)作者:白岩 玄河出書房新社Amazon「私、死んじゃったんですか」23歳の新米僧侶海生が葬儀デビューを果たしたその夜、亡くなったはずの女子大生が現れた。おそるおそる尋ねる海生。「…碕沢さんですよね?」「はい」「…お亡くなりになりまし…

認識の死角 吉田修一『女たちは二度遊ぶ』

女たちは二度遊ぶ (角川文庫)作者:吉田 修一KADOKAWAAmazon「どしゃぶりの女」「殺したい女」「自己破産の女」「泣かない女」など、何気ない日常風景から唐突に訪れる破局の瞬間まで、11組のいまどきカップルを描く短編集。 「泣かない女」には、パチンコに…

鏡花のいちばんおいしいところ 泉鏡花『高野聖・眉かくしの霊』

高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)作者:泉 鏡花岩波書店Amazon 鏡花と言えば怪異譚。どれが最高傑作かなんて言い出すと大変だが、本書の二篇は鏡花のいちばんおいしいところ。旅の僧が汽車で道連れになった男に飛騨山中での不思議な体験を語る「高野聖」は明…

石川くん、ありがとう 枡野浩一『石川くん』

石川くん (集英社文庫)作者:枡野 浩一集英社Amazon 石川くん、こんにちは。 ぼくは石川くんのことを勘違いしていたみたいです。いや、もう少し正確に言えば、石川くんのことを積極的に知ろうとしたことがなかった。この本を読むまで、ぼくが知っていた石川く…

ホルモー2回戦 万城目学『ホルモー六景』

ホルモー六景 「鴨川ホルモー」シリーズ (角川文庫)作者:万城目 学KADOKAWAAmazon オニを駆使して戦う奇妙な競技「ホルモー」を描く青春ファンタジー『鴨川ホルモー』の続編。『ホルモー』本編の作中人物から意外な名前までが登場し、六つの恋が描かれる短編…

ストーリーテラーのスパイ小説 モーム『アシェンデン』

アシェンデン―英国情報部員のファイル (岩波文庫)作者:モーム岩波書店Amazon「もしこの作品に欠陥があるとすれば、それはあまりに面白すぎるということだろう」(ちくま文庫版河野一郎による「訳者あとがき」より) 第一次大戦中、英国のスパイだったモーム…