働くということ その1 柴崎友香『フルタイムライフ』

「書類を細かく切り刻むシュレッダーは、どういう仕組みになっているのかはわからないけれど、一度にたくさんの紙を入れることができない。ホッチキスの針もいちいち外さなければならない。(…)普通のコピー用紙なら多くても十枚ぐらいがこの機械には限界で、それ以上だとがこがこっと大きな音を立てて動きが止まり、入れた書類は途中まで切れ目が入った状態で逆向きに吐き出される。このシュレッダーは、細切りではなく一センチメートルくらいの正方形に裁断するタイプで(…)
 『喜多川さん、まだシュレッダーしてんの? わ、すごい量やな』」
美大のデザイン科を卒業し、この春から心斎橋にある包装機器メーカーに就職した喜多川春子の十か月を描く『フルタイムライフ』。シュレッダーで正方形に裁断された紙の「ぴらぴらした形は七夕の飾りみたいに見える」という春子は、働く人であると同時に見る人でもある。シュレッダーをかけながら、社内報をデザインしながら、ときには商品展示会でレモンイエローのダサいスーツを着て受付をこなしながら、せっせと周囲を観察し描写する。 
 もちろん、彼女にだって感情の起伏もあれば、好き嫌いもある。「女子社員を数に入れないことを特に不自然だとも思っていないような会社」で「ちょっと、そこの女の子」と呼びかけられることも、コンパニオンのようなスーツを着ることも、春子にとっては不快なことに違いない。『フルタイムライフ』では、このような主人公の快不快でさえ、まるで窓から眺めている季節が移り変わるように、たんたんと報告されていく。『その街の今は』で柴崎友香の描写をカメラアイに例えたが、この小説には、カメラを会社に持ち込んだらどうなるかって側面がある。
 会社に流れるリストラのうわさ、気軽に何でも教えてくれた先輩OLの退職、規模の縮小に伴う社屋の移転…。『フルタイムライフ』は主人公が変化するのではなく、彼女の周囲が変化することによって長編小説として成り立っている。春子自身は、会社で働き、お気に入りのカフェでお茶をし、樹里という美大時代の友達とイベントのフライヤーをデザインするといった生活を続けている。
「いつもしれーっとした顔して冷静なんかと思っとったけど」「なんかどっか馴染んでない感じがする」「なんとなく他のこと考えてるような」
春子にかけられる言葉は、彼女がまだ「OL」になってないぞという言外の意味を含んでいるように思える。そう言えば、彼女がいちばん弱音を吐いたのは「決意表明会議」で議事録を作るために狭い会議室の片隅でメモを取るという仕事のあとだった。いわばどれだけ「会社員」になりきるかを競う儀式の場。そのあと春子は「空気が薄かった」「すかっとさわやかになりたい」と言って、コーラをがぶ飲みしたのだった。山崎ナオコーラは解説で「会社を否定しない」「世界を批判しない」と柴崎友香の小説世界について書いた。それは、言い換えれば、自分の立ち位置を決めないということでもある。そんなことが可能なのだろうか。
 10月、工場から本社に戻る電車の中で、春子は常務に聞かれた。
「もうそろそろ会社には慣れましたか?」
 『フルタイムライフ』という小説そのものがこのなにげない問いかけの答えになっている。