「人間」の終わり その2 グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』

 サイバーパンク第2弾はグレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』。前回紹介した『ニューロマンサー』は電脳世界を駆け抜けるSF的冒険活劇とでもいうスリルとサスペンスに満ちた小説だったが、『ブラッド・ミュージック』の読後感は、リアリズム小説を読んだ感じに近い。サイバーパンクというジャンルは、個としての人間のありかたがテクノロジーによって相対化され、解体していく過程そのものを主題としているのだ。
 民間の研究所ジャネトロン社に勤める遺伝子工学の研究者ヴァージル・ラウムは、自らの血液をもとに知性を持つ細胞を作り出すことに成功する。しかし、会社はラウムに研究の中止と素材の破棄を命じた。あきらめきれないラウムは、知性ある細胞を研究所から持ち出してしまった。新種の細胞はラウムを通じて瞬く間に全米に広がり、種としての人類にとどまらず、地球の環境そのものに大変革をもたらすことになる。
『ブラッド・ミュージック』に登場するヌーサイトと呼ばれる細胞は、人間の言語を理解するようになり、体内の化学物質を通じて宿主に語りかけてくるようになるが、それはあくまで過渡期のこと。やがては宿主そのものがヌーサイトによって何百万もに複製され(人間の魂でさえも!)、より高次な群体(クラスター)の一部になる。既存の人間の側から見れば、ヌーサイトは種の存続さえ危うくする恐るべき感染症だが、グレッグ・ベアは、ヌーサイトに感染した人間が次第に解体されていく過程を苦しみとしては描いていない。この小説を小説として成立させる要素(恐怖、葛藤、和解など)はすべて人間の側にある。
 だから、爆発的に広がるヌーサイトの環境変化を描く一方で、グレッグ・ベアは、それを記述し、語る視点を必要とする。それが遺伝子工学の第一人者で、早い段階で感染したにもかかわらず、なかなか変態が起こらないバーナードという存在。彼は知的に内的なヌーサイト環境を記述する。もう一人は、ヌーサイト感染から免れた「のろま」な女の子スージー。彼女は感性をフルに生かして、環境の激変したマンハッタンをいわばリポートする。
 ヌーサイトは本来ことばなど必要としない。人間はことばの次元で大きな変化を理解し、納得する。そしてヌーサイトに同化することに同意する。それはつまりことば(あるいはことばをもとにした思考)そのものを捨てる、人間であることをやめるということだが、『ブラッド・ミュージック』の魅力は、パンデミックを描くパニック小説、そして「人間」を徹底的に相対化し尽くす小説でありながら、変わることは怖くないよと語りかけるようなやさしさに満ちているところだ。〈宇宙思考〉の中で安らぐバーナードの記憶に触れたとき、良質のメロドラマを読んでいるような気さえした。