1冊で3度おいしい 内田樹『映画の構造分析』

『エイリアン』とフェミニズムの関係とは? ヒッチコック映画における鳥の意味とは? スラヴォイ・ジジェクの『ヒッチコックによるラカン』に着想を得たという本書は、ラカン理論にある程度予備知識がない読者にとっては難しいというジジェク本の欠点を解消した「映画的知識を駆使した現代思想の入門書」である。
 第1章は『エイリアン』『大脱走』『ゴーストバスターズ』『北北西に進路を取れ』などタイトルを並べるだけで頬がゆるんでくるような名画の構造分析を通して、主にロラン・バルトのテクスト論、ジャック・ラカンの欲望論が解説される。第2章は『裏窓』や『秋刀魚の味』を素材に「見ているのは誰か」という問題提起からミシェル・フーコーの視線論へと展開する。「アメリカン・ミソジニー」と題される第3章は、なぜハリウッド映画はかくもくり返し女性嫌悪映画を撮り続けるのかを論じ、意外な答えが導かれる。
 映画か現代思想に興味がある人はきっとこの本を手にとるだろう。内田樹の「志は高く。腰は低く」という基本姿勢は、全編を通して貫かれ、とってもコスパのよい本なっている。しかし、本書の本当の主題は「物語」である。すなわち「映画による現代思想」による物語論
「あらゆる物語には『構造』があります」
 このように第1章の冒頭は、映画でも現代思想でもなく「物語」から始まる。私たちは物語から離れて、ものを考えることはできない。単純だが、くり返し確認する必要がある事実だと思う。ぼくがいちばんおもしろいと思ったのは、ヒッチコックのいう「マクガフィン」である。もともと冒険小説から出た言葉で、密書とか重要書類を盗み出すことを意味した。内田は「マクガフィン」を次のように説明する。「それが存在すること、それが『何であるか』という同定を忌避することで物語の中枢を占め、人々を支配している装置のこと」、要はそれが何かわからないからこそ物語の中で強い力を持つものである。それを中心に人々の欲望が発動される。ヒッチコック映画はほとんどこの「マクガフィン」をめぐる物語(とくにいわゆる巻き込まれ型サスペンス)といえる。
 アメリカにおけるホラー映画を「『抑圧されたものの回帰』についてのアメリカ的決着のつけ方」とする内田は、多くのホラー映画ではモンスターをゆり起すのは人間の働きかけによるが、究極的なホラーの主題は「人間が何もしないのに発動する邪悪なもの」だと書き、そのような例外的なホラーの作り手としてヒッチコックとともに村上春樹の名を挙げている。
 物語を読んだり、作ったりすることに少しでも興味のある人にも『映画の構造分析』はおすすめ。1冊で3度おいしいお得な本。