リアリズム小説の完成形 アイリス・マードック『鐘』

 イングランド南西部グロスタシャーの森と湖に囲まれた僧院のかたわらで、信仰生活を営む一般人のための修道会。古文書研究のため修道会に滞在している美術史家で夫のポールのもとへ妻ドーラもやってきた。ドーラは嫉妬深く横暴な夫を恐れ別居中だったが、その間に男友達と不倫関係を持っていた。その他にも、修道会のリーダーで、かつて教え子の男子学生と関係を持ったゲイの元教師マイクル、オクスフォードへの進学を控えた男子学生トビー、尼僧になることを決意した美少女キャサリン、キャサリンの双子の兄でマイクルと関係した学生ニックなど多彩な登場人物が、俗世間から隔たった場所に集まるという設定は、典型的な推理小説を思わせる。しかし、アイリス・マードックが描く世界は、謎解きや犯人捜しとは対極にある。
 ポールが古文書に発見したという僧院の鐘についての伝説がある。何度か若者が僧院の壁をよじ登るところが目撃されていた。尼僧に恋人がいるらしい。司教が罪ある者は名乗り出るよう呼びかけたが、誰も出てこない。そこで司教が僧院に呪いをかけると、大きな鐘がまるで鳥のように舞い上がり、湖に落ちた。罪を犯した尼僧は、この奇跡に驚き僧院の門を駆け出すと湖に身を投げたという。以来、僧院には鐘がなかったが、近く新しい鐘がやってくることになっていた。湖に身を投げた女に対してドーラは「かわいそうに!」といい、ポールは「もちろん君は不信心者の側に立つだろうね」「しかし、その女は誓いを破ったわけだ」という感想を漏らす。無教養で感情的なドーラ。彼女は尼さんに不倫の罪を告白するくらいなら死んだ方がましと考えるようなかわいい女である。一方、論理的だが、皮肉っぽく冷たいポール。夫婦はあくまで修道会の客人だが、一見善男善女の集まりのように見える修道会も、一皮むけばいつくもの思惑が交錯する世俗的な場なのである。
 推理小説における探偵のような人物は登場しないし、問題がズバズバ解決されたりもしない。登場人物は、様々な悩みや弱さを抱えていたり、矛盾に直面したり…。みんなすこしヘンというかフツーなのだ。物語はトビーが湖の底に沈んだ鐘を発見しドーラに告げたことから急展開を迎える。中世から伝わる伝説の鐘が再び浮かび上がるようにして、隠れていたものが露わになり、ついに破局が訪れる。しかし、その後思索的になったドーラの静かな生活は深い余韻を残す。私は閉じ込められているという必死の叫びをあげることができたドーラは、すこしだけ変わることができた。
 作者は女性だが、『鐘』はいわゆる女性小説ではない。ぼくはドーラに感情移入して読んだところがあるが、作中の誰に身を置いて読むかによって全く印象が異なると思う。傑出した主人公がいない群像劇、それが『鐘」の世界なのである。1958年に発表された本作は、ちょっと情景描写が多くてもたつくなと感じるところはあるけど、舞台、キャラ、予測できない展開、そして鐘という象徴的なイメージなど、リアリズム小説の完成形を見るような気がする。