中世の推理小説は可能か ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』

 中世北イタリアの僧院で、修道士たちが次々と謎の死を遂げる。折しも僧院では「清貧論争」において対立するフランシスコ会アヴィニョン教皇を代表する使節団による会談が行われようとしていた。事件の発覚を恐れた修道院長は、会談に先立ち僧院を訪れていたフランシスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムに事件の解決を依頼する。ウィリアムはベネディクト会見習い修道士アドソを助手として調査に乗り出し、事件の核心が迷宮構造を持つ文書館に所蔵されている書物にあることを突き止めるが…。
『このミステリーがすごい』(1991年版海外編)で第1位に選ばれていることからもわかるように、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』はまずミステリーといっていい。しかし、ミステリー小説としての魅力は『薔薇の名前』という多面的な小説の一面にすぎない。
 中世へ、そして物語の舞台となる北イタリアのとある僧院へたどりつくのは容易ではない。『薔薇の名前』の「手記だ、当然のことながら」という前書きよると、フランス語に訳出されたラテン語の書物を「私」が入手し、イタリア語訳したもの、それが『薔薇の名前』だというのである。前置きは『薔薇の名前』が書物同士の不思議なつながりを経て見出された一巻であること、同時にいわば書物の迷宮が本編の主題のひとつであることを告げている。
 最初の探偵小説は、19世紀半ばポーによって書かれたと言われている。与えられた情報(証拠)から、隠れた真実を導き出すという帰納的な方法はまさに近代の方法である。客観的な証拠を必要としない状況では、探偵小説は成り立たない。たとえば全体主義国家。法外な権力者が気に入らないやつを犯人にすることができる。とすれば、異端審問や魔女狩りの嵐が吹き荒れた時代に、いちいち殺人事件の犯人を捜す必要があるのかという疑問が湧く。事実、教皇使節団を代表するベルナール・ギーは泣く子も黙る異端審問官であり、彼が捕えたのはかつて異端の宗派に属していた男と魔女の疑いをかけられた村の少女だった。
薔薇の名前』には中世の異端審問官から見た犯人と近代の探偵小説的世界から見た犯人がいる。連続殺人の真犯人は? その狙いは? といった謎解きの筋をたぐりながら『薔薇の名前』を読むと、神学上の清貧論争、異端者への凄惨を極める迫害、皇帝と教皇の権力争いなど、その筋はたびたび横道にそれるという印象を受ける。しかし、エーコが描きたかったものは、そうした横道の中にあったのではないだろうか。下巻巻末の「解説」によると、エーコは『薔薇の名前』執筆の直接の動機は1978年に起きた極左勢力による首相殺害事件(モーロ事件)にあったことをくりかえし述べているという。ウィリアムはアドソに言う。「(…)何であれ、純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」修道士ウィリアムが聞き込みと証拠に基づいた捜査を進める過程は、「純粋さ」という狂気の存在を、自分が信じていたものの中に見る過程でもあった。一冊の書物をめぐり文書館の内部で真犯人に対峙するクライマックス。犯人がその存在を隠し通そうとした書物の主題は、ウィリアムが恐怖した「純粋さ」によって形作られた世界を根本から覆す可能性を持つものだった。
 読書体験が豊かであるほど、あれこれ連想が広がり『薔薇の名前』を読む楽しみも大きくなる。わかってないこと、山ほどありそう。ともあれ、読書の楽しみをここまでとことん与えてくれる本はめったにない。