快楽と倦怠 開高健『ロマネ・コンティ・一九三五年』

 表題作のほか川端賞を受賞した「玉、砕ける」など6つの短編を収録した短編集。阿片、釣り、酒など大人のというか男の快楽をとことんまで味わい尽くそうとする作家の探求を描く。ベトナムで阿片吸引の体験を求め、ホーチミン市の裏通りや国民党の残党が作った村をさまよう「飽満の種子」。阿片に肩透かしを食う作家がその代りに行き当たるのは、4か国語を流暢に話す博識のスン氏の「やつれた微笑」である。「貝塚をつくる」では、華僑の釣りマニアで実業家の蔡に連れられて南シナ海のフーフォック島へ。そこで軍を脱走しタイランド(シャム)湾の小島に隠れ住む若者に会う。
 阿片や釣りが日常からの跳躍であるなら、作家はその跳躍にあらかじめ重りをつけるかのように倦怠の支配する日常や過酷な現実を描くのである。行動し、快楽を求める作家開高健は、一方でくり返される退屈な日常にうんざりし、疲れ切った男でもある。サラリーマン時代を描く「黄昏の力」は、日々の倦怠から逃れる手段は、酒やポルノ、ストリップなどであり、「渚にて」では「開高健」をもじって「閉低患」などともいう。貪欲に快楽を追求する開高健の蔭に、倦怠という病にふさぎ込む「閉低患」がいる。この作家がすごいところは、負けても負けても再び挑んでいく跳躍力だと思う。その方法は求道的で、一つ間違えば宗教になってしまう可能性があるが、そうした超越的なものにならず、ただくり返し行動することがすごいのである。
「玉、砕ける」に香港の友人とたびたび話題にのぼるエピソードが紹介されている。「それは東京では冗談か世迷言と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である。白か黒か。右か左か。有か無か。あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなければ殺す。しかも沈黙していることはならぬといわれて、どちらも選びたくなかった場合、どういって切り抜けたらよいかという問題である」
 こんな謎かけにうまい答えはなかなか見つからないだろうが、何かになるのを拒否しつつ、行動するという開高健の方法に、あるいは答えのヒントがあるような気がする。大人の苦みが舌に残る短編集。