村上春樹による村上文学解説 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 多崎つくるは東京の電鉄会社の駅舎を設計管理する部署に勤めている。つくるには心を強く惹かれる女性がいる。二つ年上で、旅行会社で働く木元沙羅だ。つくるは彼女の求めに応じて「既に深いところに沈めてしまった」という16年前の出来事を語り出す。 
 つくるは、高校時代「親密な共同体」と彼が形容する仲のいい五人のグループに属していた。赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵理。つくる以外は名前に色が入っていたので、アカ、アオ、シロ、クロと呼び合っていた。親密な交際はつくるが地元名古屋の高校を卒業し、東京の工科大学に進学してからも続いた。それが理由も告げられないまま唐突な終わりを迎えたのは、つくるが大学二年の夏のことである。それからの半年間、死ぬことばかり考えていたという彼は、その危機を乗り越えた後、風貌も変わりすっかり別人になっていた。
 いったいなぜつくるはグループを追放されることになったのか。それを知ろうとしなかったつくるに沙羅は言う。「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」かつての仲間に会うことを決意したつくる。沙羅は四人の近況を調べ、シロの死という意外な事実を報告した。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、村上春樹による村上文学の解説書といった読後感をもった。16年前の追放とシロの死の謎を追うミステリー仕立てのストーリーはわかりやすいし、自分の痛みに向き合うという作業の中で、死者に会うというモチーフは、村上春樹がくり返し描いてきたものだ。リアリズムの枠の中で合理的な解釈ができるように書かれているが、深層には死者たちが通じ合う回路も想像できるようになっている。その回路を通じて、クロがシロを殺し、また別のレベルではつくるがシロを殺した。フィンランドで再会を果たしたつくるとクロは、かけがえのない友を失ったかつての友人同士であるだけでなく、シロを殺した犯人同士でもある。
 グループから追放されたつくるも、シロを日本に残してフィンランドに来たエリ(彼女はもうつくるにクロとは呼ばせない)もいわば死者であり、かつてシロがよく弾いていたリストの『巡礼の年』が二人の間に流れるとき、「あの子は本当にいろんなところに生き続けている」というクロの言葉は、比喩ではない。二人の再会は16年前と現在、死者と生者が交差する場を準備したのである。
 村上春樹はくり返しここを訪れて、また現実世界へ戻っていく。おそらくそれが生き残っている者がするべきことなのだろう。