見ること見られること デビット・ゾペティ『いちげんさん』

 デビット・ゾペティの『いちげんさん』は1996年に発表されたようだから、もう20年も前のことだ。この小説の存在は知っていた。だけど、読んでなかった。京都にあこがれて、ヨーロッパからやって来た外国人留学生が日本人女性と恋に落ちるというあらすじだけ聞いて、スルーした。今、読み終わって言えることは、ぼくはこの小説を読むのにいちばんふさわしい人間だということだ。ぼくは京都在住の日本語教師であり、『いちげんさん』の主人公が文学部でせっせと日本近代文学を読んでいた、おそらくその数年後、ぼくもまた「たいした理由もなく」大学で文学を学んでいた。
 だから、ぼくにとっての『いちげんさん』は二つの水準がある。一つは、日本語教師として読んだ『いちげんさん』。外国人留学生として来日した主人公の「僕」は、京都に溶け込もうと努力しているにもかかわらず、決して受け入れられることはない。観光地では「外人、外人、ハロー、ハロー」とくりかえすいなごの群れのような修学旅行生に出くわし、電車の中で日本語の本を読んでいると「オー・ユー・ジャパニーズ・カンジ・オッケー?」とのぞき込まれ、カラオケで長渕剛を歌っただけで、「日本の心はこれからどこへいくんやろうな」と嫌味を言われるのである。「どこへも行かへんって、阿保たれ」と「僕」は怒鳴り返すのだが、ほんとにそのとおりだ。外人が「とんぼ」を歌ったぐらいで「日本の心」はどこにも行きはしない。ていうか、「日本の心」って?
 外国人が日本語を使うことは、特別なことではない。彼らは外国語として日本語を学んだというに過ぎない。デビット・ゾペティも、どうして小説を書けるほど日本語がうまくなったのかとか、なぜ母語で書かないのかといった類の質問を受けたようだが、そのような質問は日本語は特別という根拠のない考えの裏返しでしかない。日本語を話す外国人に出会ったら、下手な英語で返すのではなく、普通の日本語で話してあげてほしい。それが努力して日本語を身に着けた人への礼儀だと思う。
 もう一つの『いちげんさん』について書こう。もちろん文学作品としての『いちげんさん』のことだ。「僕」は京都という街の特殊性を次のように説明する。
 外見で人を判断するのは、程度の差こそあれ、どこの国にもあることだ。「しかし、京都の場合、話は微妙に違っていた。人を見て、その外見から瞬時にして何かを勝手に決めつけて、相手の気持ちを感心してしまうほど無視したラベルを貼りつけるプロセスは、極めて特殊だった」。京都には「微妙な区別のメカニズム」が存在し、「すべては外見というものから始まっていた」
「見る−見られる」という関係が人のあり方を規定し、「外人という名の道化師を演じさせられる」。巧妙で残酷なメカニズムが暗黙の了解のもとに機能する京都で、「僕」が盲目の日本人女性、京子とつきあうようになったのは、必然的なことかもしれない。「僕」は文学作品の朗読のボランティアを通して、京子を知る。「僕」は京子の家に通い、多くの日本文学を朗読する。「舞姫」から始まって、「不如帰」、開高健「夏の闇」、村上春樹安部公房などが朗読されるが、「僕」と京子の関係で思い出されるのは、「春琴抄」である。『いちげんさん』に「春琴抄」への言及はない。しかし、冒頭、古書コレクターである「僕」は谷崎の「鍵」の初版本を読んでいるし、芦屋の谷崎潤一郎記念館を二人で訪れるなど、谷崎は十分意識されている。
 朗読ボランティアは、「見る−見られる」という関係性から解放された「僕」のエロス的空間であり、朗読(肉声)を通して「僕」は京子とつながるのだから、二人が肉体関係を持つようになるのは、ごく自然な成り行きである。二人の関係が急接近したのは、京子が日本の小説しか読まないあなたにと言って、性描写の過激な「ヘンリー&ジューン」を朗読を求めたからだこれし、これは朗読空間のエロス的な意味を象徴していると言っていい(スティービーというウサギも「僕」の嗜好をよく表している)。
 後半、「僕」はヤクザの取材で来日したフランスのTVクルーに通訳として同行し、ヤクザが「僕」に「外人」ではなく、一人の人間として接することに安堵を覚えるという場面があるが、ここまでくるとちょっと図式的な部分が見え透く感じがする。もっとも『いちげんさん』がすごいのは、「僕」もまた見る人であることを忘れていないことだ。京子と「僕」が二人で銭湯に行ったとき、「僕」は男湯と女湯の仕切る壁の上から女湯の京子をのぞこうとする。見られることに疲れ果てている「僕」は、その一方で見ることには、あまりに無頓着である。京子だけは「僕」を外見で判断しないというが、京子といるときだけ、「僕」は見る人に戻れたということでもある。
 京都という街に受け入れられることのなかった「僕」は、日本文学の朗読というもう一つの回路で日本に、そして京子につながることができたが、やがて「僕」は京都という「死んだ街」から出ていくことになる。もし「僕」が京都に残っていたら、いずれは「春琴抄」の佐助のように針で自分の目を突かなければならなかったかもしれない。