時間というオブセッション J・G・バラード『ザ・ベスト・オブ・バラード』

『ザ・ベスト・オブ・バラード』は1960年代に人間の精神世界(インナー・スペース)をSF小説に取り入れ、ニューウェーブと呼ばれたJ・G・バラードの自選短編集(原著は17篇だが、日本語版は訳者星新蔵が選んだ7篇)。各篇に作者による解説がついているのも貴重。
 バラード自身が「私の扱うテーマのほとんどすべてがあらわれている」として代表作にあげる「時間が語りかけてくる」をはじめ、「六九型マンホール」「クロノポリス(時間都市)」「強制収容都市」など、本書の短編には、一種の強迫観念のように時間(あるいは時間の類比としての空間)に囚われた人物が描かれる。
 例えば「六九型マンホール」は特殊な手術により、睡眠を奪われた患者たちの話。手術を行った医師は言う。この手術は精神が毎夜無意識へ退行するのを断ち切り、患者の寿命を20年延ばしてやったのだと。しかし、患者たちは次第に狭い部屋に閉じ込められたような感覚に陥り、現実感覚を崩壊させていく。また、「クロノポリス」や「強制収容都市」は消費社会や都市の人口増加といった問題を反映しているが、それ以上に、人間の生そのものが死という時間制限に条件づけられているという事実を思い起こさせる。人間は時間という檻の中で生きていて、そこから出ることはできない。できるのは脱出を夢見ることである。
 バラードはいくつかの脱出への夢想のバリエーションを描いて見せた。その1。SFというより純文学小説に近い「負担がかかり過ぎた男」は、現実に一切の興味を失い、狂気の世界へと逃避する男の話。最も現実的な脱出の可能性。その2。世界の本質はいまだ開示されていないので、それまで待つとする「待つための根拠」。これはキリスト教など、終末思想を持つ宗教に近いのかもしれない。これはバラードの言葉を借りると人類はパーティーの最後の客なのか、それとも次のパーティーの最初の客なのかということになる。しかし、いまだ宇宙の本質に触れていないという意味で、早いか遅いかは同じことだ。その3。バラード的世界の集大成的短編「時間が語りかけてくる」。放射性物質により突然変異を起こした動植物、自殺した生物学者が水のないプールの底に書き残した意味不明の文字、睡眠時間が次第に増えていき、やがて死に至るという麻酔性昏睡(ナルコーマ)なる奇病の流行と、終末的雰囲気漂う小説世界で自身もナルコーマにかかった精神外科医が、死を意識しつつ、宇宙との一体化を試みる。宇宙との一体化は、おそらく最も完璧なこの世からの脱出方法だろう。でも、これって結局死ぬってこと?
 この全編に漂う重苦しさは、こうした脱出の試みが所詮は負け戦でしかないことがわかっているからだ。同時に欧米人特有の堅固な自我のありようとも密接にかかわってる気がする。