蝶と幻 ウラジーミル・ナボコフ『ナボコフの一ダース』

 ナボコフと言えば、問題作『ロリータ』で知られる20世紀を代表する作家。その他の作品も最近は岩波文庫光文社古典新訳文庫で簡単に手に入るが、「難解」なイメージがある。本書『ナボコフの一ダース』は、ナボコフ的世界を気軽に楽しめるお得な短編集。この短編集の魅力をどう表現すればいいのだろう。故郷や少年期へのノスタルジー、にじみ出るようなユーモア、辛辣な皮肉、不条理な展開、存在そのものへの不安、ことば遊び、独特の暗喩、リズミカルで密度の高い文体、思わずはっとさせられる一文…。挙げていけばきりがない。こうしたさまざまな要素の配合からなるナボコフの短編は、ボルヘスにも通じる濃縮された味わいがある。
 亡命後、ヨーロッパの行く先々で、若き日にロシアで恋した女性ニーナに出会う「フィアルタの春」。主人公にもニーナにもすでに決まった相手がいる。しかし、そんなこととは別に主人公にとってニーナは、出会うたび惹きつけられるあこがれの対象であり続ける。あらかじめ失われたものへの執着は、最後には苦い幻滅となってその姿を現さずにはいない。「初恋」は、最も失われた過去の思い出が鮮明に描かれる。逆に「アシスタント・プロデューサー」では、亡命者として異国に生きることの滑稽さが、亡命ロシア政権の将軍たちのむなしい権力闘争として描かれる。「城、雲、湖」「一家団欒の図、一九四五年」は、不条理な状況下で立ち往生したり、屈辱を味わわされるカフカ的短編。これらほとんどの短編に、貴族の家に生まれたナボコフロシア革命後、亡命者としてヨーロッパ各地を転々とし、のちアメリカに移住したという伝記的事実の反映を見るのはたやすい。しかし、ことはそう単純でもない。
 精神病で入院した息子を見舞う老夫婦を描いた「合図と象徴」。夫婦は何をもらってもそこに悪意を読み取ってしまう息子に、これならよかろうとフルーツゼリーを持っていく。しかし、症状が悪化した息子にプレゼントを渡すことはできず、帰宅する。夜中に突然鳴り出す電話のベル。アンズ、ブドウ、スモモ、マルメロ、リンゴ…。息子にやることができなかったフルーツゼリーのラベルを読み上げる夫。それが何を意味するのかと言われれば、意味はないとしか答えようもないものが、次第に意味を帯びていく不気味さを、ナボコフは周到にリアルに描いて見せる。あえて言えば、ぼくらは「それ」から逃げることはできない。しかし、「それ」を捉えることもできない。
 ナボコフは昆虫学者で蝶コレクターでもある。「夢を生きる人」は、繁華街の路地裏で、蝶や蛾の標本を売る小さな店を営む男の話。店の経営は苦しく、貴重な蝶を捕獲するため各地を巡りたいという夢も消えかけたころ、男に願ってもないチャンスが訪れる。男は、妻に告げもしないでいそいそと旅行の準備にとりかかるが…。蝶は言うまでもなく、「それ」である。ある事実から目を背けようとする老夫婦には執拗に襲いかかる「それ」は、捕まえようとするとするりと逃げていく。ナボコフはまるで手品師のような鮮やかな手際で、その機微を見せてくれる。