遍歴の果てにみる社会 イーヴリン・ウォー『ポール・ペニフェザーの冒険(大転落)』

 オックスフォード大学で神学を学ぶポール・ペニフェザーは、酔っぱらったOBたちのバカ騒ぎに巻き込まれ、「品行不良」で退学処分になる。ペニフェザーには何の落ち度もないのに、さっさと追い出されるわけだが、ペニフェザーも特に抗議することもなく、不当な処分を受け入れる。このできごとをきっかけにポール・ペニフェザーの冒険というか、数奇な遍歴の物語が始まる。
 私立学校の新人教師として悪戦苦闘するペニフェザー、大金持ちのベスト=チェットウィンド夫人と結婚したペニフェザー、売春斡旋の容疑で逮捕、収監されるペニフェザー…。
 この小説を楽しめるかどうかは、ポール・ペニフェザーをつぎつぎと襲う運命のいたずらを描く作者イーヴリン・ウォーのシニカルな視線と黒いユーモアが合うかどうか。こういう毒を含んだユーモアはイギリス人の大好物なんだろう。
 ペニフェザーは、不条理な運命の数々に驚くほど従順だ。それというのも「読者もすでにお察しのように、ポール・ペニフェザーは決して主人公たりえない人物なのであり、彼についての唯一の興味は彼の影が目撃する一連の異常な事件のみから生ずるのだからである」(第二部第二章)と作者自身が言っているように、ポール・ペニフェザーは世の中を見る人であるにすぎない。
 この小説が発表されたのは1928年で、当然のことながら当時と現在とでは、世界は大きく変化している。ウォーのもくろみが黒いユーモアを介した社会風刺だとすれば、ある意味で役割を終えた小説だと言えるのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。
 刑務所に入っているポール・ペニフェザーに面会に来たベスト=チェットウィンド夫人の息子は、黒幕は母親であることを知りながら、無邪気にも「ママが入獄している姿なんて考えられないものね」と言うが、ペニフェザーはそれを聞いて納得してしまうのである。彼は「マーゴット(ベスト=チェットウィンド夫人)と自分とでは適用される法が事実ちがうのだし、ちがっているべきだ」と考える。
 ポール・ペニフェザーは不条理な運命に翻弄されながら、近代のルールだけが社会の秩序を守っているのではないことを身をもって知る。いいとか悪いとかいってもしょうがない、だって、事実そうなんだからとさらっと言っちゃうわけだ。
 小説の中で、イーヴリン・ウォーはくりかえし近代化の浅薄さを皮肉って見せるが、この法の運用に関する問題提起は、特別な人は法の適応を免れると言っている以上に、社会というものは、社会が自ずと持つもう一つの「法」によって秩序を形作っていると言っているように見える。のちにカトリックに改宗し、『ブライズヘッドふたたび』など伝統的価値観に回帰したイーヴリン・ウォーにとって、もう一つの「法」とは、やはり神だったのかもしれない。
 (読んだのは柴田稔彦訳の福武文庫版)