運命という見えない力 トマス・ハーディ『呪われた腕 ハーディ傑作選』

「ハーディを読んでいると小説が書きたくなる」という村上春樹の言葉が、ハーディの短編の魅力を端的に語っていると思う。新潮文庫の復刻・新訳シリーズ「村上柴田翻訳堂」の一冊で、『ハーディ短編集』を改題・復刻した本書『呪われた腕 ハーディ傑作選』は、表題作をはじめ、「アリシアの日記」「羊飼いの見た事件」など、悲劇的運命に翻弄される人々を描く8編の短編が収録されている。
アリシアの日記」は、妹の婚約者と姉が互いに恋愛感情を抱きながら、苦しむ心理がパリ、ベネチア、英国の荒涼とした自然を背景に綴られる日記体の小説。妹の婚約者と姉の恋愛という、どう転んでも幸せな結末にはなりそうにない設定だが、ハーディは容赦なくぐいぐいと悲劇的な結末へと突き進んでいく。こうした人間同士の緊張した関係が劇的に表現される短編は、古臭いなと感じることもあるが、同時に人間の意志を超えた、目に見えない力の存在に圧倒される思いもする。
 決定的な場面を見てしまうこと、これもハーディの短編の特徴の一つで、恋人の浮気の場面とか、嫉妬ゆえの衝動的な殺人とか、そうした場面を演じる当の本人だけではなく、その場面を偶然目撃してしまう作中人物もまた、運命に翻弄されてしまう。ハーディの短編にあっては、たまたま見てしまうことも、悲劇的な運命の刻印のようなものらしい。サスペンス映画にしたくなるような巻き込まれ型の物語の典型だが(そう言えば、ハーディの長編『テス』を映画化したのは、『ゴーストライター』『フランティック』『チャイナタウン』などのサスペンスで知られるロマン・ポランスキーだ)、緊張した人間関係、隠然たる力の働き、決定的場面の目撃といった要素がそろっているという意味で、表題作「呪われた腕」は、とくに読み応えある作品だ。
 美しく若い女がとある田舎の地主に嫁いだが、この地主は使用人の女との間に男の子をもうけていた。使用人の女は若妻の夢を見る。夢の中で女は若妻の左腕を強くつかむが、なんとその跡が醜い痣のように実際に若妻の左腕についていたのである。この作品がおもしろいのは、上に述べた要素が「夢」という場でたがいにつながりあっていることだ。あたかも見えている世界の他に、別のレベルの現実が存在しているかのようだ。夢やセックスが異界とつながる契機になるというのは、村上春樹の小説に頻出する小説構造だ。「呪われた腕」を読んだときは、最初に紹介した村上春樹の言葉とともに、なるほどこういう部分にきっと刺激を受けてるんだろうな思ったんだけど、ハーディの短編はあくまで暗く重苦しい。作中人物は例外なく、運命という見えない力に支配されているのだ。
<収録作>
「妻ゆえに」
「幻想を追う女」
「わが子ゆえに」
「憂鬱な軽騎兵
「良心ゆえに」
「呪われた腕」
「羊飼の見た事件」
アリシアの日記」