人生を決定づける瞬間 アンダスン(シャーウッド・アンダーソン)『アンダスン短編集』

 

  代表作『ワインズバーグ・オハイオ』で知られるシャーウッド・アンダーソン(アンダスン)の10短篇を収録した新潮文庫の短編集。作家的想像力という言い方をすることがあるが、その方向性や質は作家によって大きく違ってくる。アンダーソンのそれは、年齢、性別、社会的地位などが異なる作中人物を描き分け、人生の一断片を鮮やかに切り取ってみせるという意味で、まさに短編作家的だと言える。

 アンダーソンが描くのは、ごく日常的な生活の一部である。いや、少なくとも出だしはそのように見える。例えばこんなふうだ。

「わたしは田舎にあるわたしの家に来ており、今は十月も下旬になっている。雨が降っている。わたしの家の背後は森で、前面には道路があり、道路の向う側は木のない野っぱらである。このあたりは低い丘がつらなっている所なのだが、それらの丘は突如として平坦になり(…)」(「兄弟たち」)

 こうしたゆったりとした語りは、本書に収録されている短篇におおむね共通のものであり、アンダーソンの奇を衒わない作風を特徴づけているかに見える。しかし、たんたんとした情景描写はいわば準備運動のようなもの、手慣れた釣り人が釣り糸を垂れている情景がのんびりと見えるのと同じで、アンダーソンは獲物がかかるのをじっと待っているのだ。

 人生を決定づける瞬間。おおげさに聞こえるかもしれないが、これがアンダーソンの待っている「獲物」である。作中人物たちは予期せぬ形で彼らの後の人生を決定づけるような出来事に遭遇する。ときにそれは理不尽とも形容できるような暴力性をともなうことさえある。「もう一人の女」は結婚を間近に控えた男の一回限りの情事が描かれる。アンダーソンはいかにも陳腐な出来事でしかない結婚前の情事を、作中人物の男が一生かかっても解けないような謎に魔法のように変えてみせる。

 「灯されないままの明かり」や「悲しいホルン吹き」なども作中人物の意志的な行為や決意より偶然性のほうがより大きくその人の人生を左右するさまが描かれる。こうした認識が人生は思い通りにはいかないものだなどという紋切型に堕さないのは、アンダーソンが見出している人生観に描かれない超越性のようなもの、理屈では割り切れないものがあるからだと思えて仕方がない。

 本書に収録されている10編のうち、競馬物と言える短編が2編ある。「そのわけが知りたい」と「女になった男」である。おそらくアンダーソンには競馬に夢中になった一時期があったのだろうと推測されるほど、他の短篇に比べて熱量が高い2編は、さきほど言及した超越性に関わって重要な示唆を与えてくれる。

「そのわけが知りたい」は競馬に夢中の少年が競馬馬と気持ちが通じ合っていると信じる話。それ自体なんのふしぎもないが、彼以外に調教師の男もそうだと思い、その男に強い親近感を抱くのだが、その調教師の馬がレースで勝ったその晩、調教師の男が薄汚い場末の女郎屋で女を買うのを知るに及んで逆上する。この逆上はまったく筋が通らない。馬とたがいに気持ちをわかり合っている調教師がだからといって女を買ってはいけない理由がないからだ。

 主人公の少年は言う。「それ以来わたしはずっとあの時のことをかんがえていた」「なんだってあいつはあんなことをしたのだろうか? わたしはそのわけが知りたい」この問いかけに答えはない。しかし、それをそのわけが知りたいと念じる作中人物の中では明らかに何かそこに「つながる」ものがあるのだ。それは日常性を超えたものでなければならない。たとえこの問いかけが空振りに終わるとしても、こうした一見理屈に合わない問いかけを重ねることが、おそらくアンダーソンという作家創作に関わって重要なことなのだ。

 ぼくが本書でもっとも衝撃を受けたのはもう一つの競馬物「女になった男」である。この短篇にはこれまでに挙げたアンダーソンの特徴がすべて完璧な形で出そろっている。競馬馬の世話をしている若者が興行先の村の居酒屋と馬小屋に帰ってから遭遇する恐怖体験を描く「女になった男」は、ぼくのとぼしい読書体験でいうなら、村上春樹の「眠り」(『TVピープル』所収)やレイモンド・カーヴァーの「足元に流れる深い川」(『Caver's dozen-レイモンド・カーヴァー傑作選』所収)を読んだ時に受けたショック以上のものを感じた。村上春樹レイモンド・カーヴァーの短篇を挙げたのは、いずれも男性作家が女性視点で女性の受難を描いているという点、そして、出来事そのものがだれにも理解されないという孤独、そうしたモチーフが共通しているからである。正確にいうと「女になった男」で恐怖体験をするのは男である。小柄な体格である男が女に間違えらて襲われるのである。ここにはアンダーソンという作家の性別や階層を超えた想像力の質が端的に表れている。瞬時に男を女に変えてみせるのだ。さらに馬という動物の受難(屠殺場跡に散らばる家畜たちの骨)も見え隠れしているという点でも特異だ。

 アンダーソンの短篇は、作中人物にとって決定的な瞬間が唐突に顕在化する。それがリアルに感じられるのは、作中に読者にはたどれない理屈の回路が張り巡らされているからにちがいない。

<収録作>

「卵」

「兄弟たち」

「もう一人の女」

「そのわけが知りたい」

「灯されないままの明かり」

「悲しいホルン吹きたち」

「女になった男」

「森の中での死」

「南部で逢った人」

「トウモロコシ蒔き」