分裂する横光利一 横光利一『機械・春は馬車に乗って』

 

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

 

  2020年は仕事に追われてなかなか読書が進まない1年だったが、横光利一を読んだことが2020年の読書の大きな収穫だった。本棚に積読として眠っていた『機械・春は馬車に乗って』を引っ張り出してきたのは、これまた積読だった筒井康隆編『実験小説名作選』(集英社文庫)に収録されていた短編「ナポレオンと田虫」を読んだこと。今まで横光利一をきちんと読んだことがなかったという事実に愕然とした。それくらいおもしろかったし、日本のモダニズムや近代について考える上で重要な作家だと思った。正直、横光利一と近代、あるいは西洋と東洋といったテーマはたった一冊の短編集を読んだだけの一読者の手に負えるものではないが、本書に収録された短編のうち、印象に残ったものを中心に感じたことをまとめていきたい。

『機械・春は馬車に乗って』には発表順に10編の短編が収録されており、大正13年発表の「御身」から昭和23年発表の「微笑」までは24年の歳月が流れている。その間、作風の変化があることはあたりまえと言えばあたりまえなのだが、横光利一の場合その印象は強く、複数の作家によって書かれた小説を読んでいるような気にさえなった。

 横光利一川端康成らとともに新感覚派と呼ばれたのは文学史上の知識として知っていたが、本書収録の短編でその呼称にふさわしいのは「御身」「ナポレオンと田虫」「春は馬車に乗って」の三編だろう。特に「春は馬車に乗って」は肺病で死期の近い妻と彼女を看病する夫を独特の詩的で人工的な文体で描いている。夫婦の家から見える浜辺の描写「渚では逆巻く濃藍色の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑のように坐っていた」といった表現はその典型である。

 表現や感覚のおもしろさというだけなら、それほど惹かれはしなかったと思う。しかし、「機械」(昭和5年)「時間」(昭和6年)の2編は1930年という早い時期に現れたモダニズム小説としてとても新鮮な驚きを感じた。町工場の主人と工員3人のモザイク模様のように複雑に絡み合う人間関係を意識の流れの手法で描いた「機械」は、篠田一士の解説によると、横光によって「四人称の設定」とされていたようだ。ジョイスの『ユリシーズ』から影響を受けたという。最も早い翻訳が伊藤整らの共訳による1931ー1932年なので、原書を読んでいたということか。一読しそのおもしろさとモダンな感覚に衝撃を受けた。後藤明生そっくりと思ったが、これはもちろん反対で後藤明生横光利一の「機械」を徹底的に読み込み、その世界を自分のものにしていったにちがいない。

 横光利一昭和11年(1936年)に渡欧し半年間欧州各地に滞在した。その体験をもとにして書かれたのが大作『旅愁』だが、本書に収録された短編では「厨房日記」(昭和12年)「罌粟の中」(昭和19年)「微笑」(昭和23年)の3編に梶という欧州滞在を経験した作者の分身のような作中人物が登場する。

「厨房日記」はパリ滞在の体験が詳細に描かれている。そこに登場する作者の分身梶はパリでシュルレアリストの詩人トリスタン・ツァラ夫人の主催するパーティーに招かれ、ツァラらと言葉を交わしている。梶を日本人だと見て、腹切りの意味について質問するご婦人に梶はかなり国粋主義的傾向を感じさせる返答をする。何か気負っているのだ。一方で帰国後の梶は東京銀座の印象についてこう評している。

「あれほど大都会の中心を誇っていた銀座は全く低く汚く見る影もなかった」

 日本と西洋という近代日本の知識人ならだれもがぶつからざるを得ない問題に真っ向から向かい合って、整合性を保つよりむしろ分裂気味でアンビバレントな自己をさらけ出していると言ってもいい。そもそもがいち早く当時流行の文学潮流を捉えて自分の作品に取り入れる進取の気性に富む作家である。それが戦争を迎えて、硬直したかのように国粋主義に傾き、時代に迎合したのは、あるいは横光利一の弱さだったのかもしれないが、そう単純には言えないだろう。

「罌粟の中」はハンガリー滞在時に当地の通訳者兼案内者との交流をやや感傷的に描いている。「陛下のお馬」など時勢を感じさせる表現もあるものの、ここにあるのは気負わない梶の幸せな欧州滞在記だ。ヨーロッパよかったな、楽しかったな、そういう率直な思いが横溢している。

 戦後に発表された「微笑」は、本書の中で最も深刻な分裂が露わになっている気がする。帝大の学生で数学の天才が海軍に所属して新型兵器の開発に関わっている栖方という青年と作家梶の交流が描かれる本作は、敗戦が決定的になっている状況を認識しつつも、栖方の新型兵器に期待する梶がいる。栖方という青年も二律背反を抱え込むような存在として描かれる。母方の実家が代々の勤皇家でありながら、父が左翼運動に獄に入ったり、本人には狂人ではないかという疑いが付きまとっていた。

 戦後、横光利一は「文壇の戦犯」として断罪される。「微笑」がどのような意図で書かれたかわからないが、これを横光利一の「言い訳」とは受け取りたくない。ぼくは天皇の戦争責任をあいまいにしたことが、戦後日本の最大の問題だと考える。戦後、多くの人間が戦犯として罪を問われた。横光利一も例外ではなかったわけだ。しかし、本書に収録された作品を読めば、近代日本の抱える矛盾を作家として目をそらすことなく主題化していたという事実は否定できないし、そうして生み出された小説が実にスリリングなおもしろさとアクチュアルな問題提起をはらんでいるのである。

<収録作>

「御身」

「ナポレオンと田虫」

「春は馬車に乗って」

「時間」

「機械」

「比叡」

「厨房日記」

「睡蓮」

「罌粟の中」

「微笑」