旅路の果て ポール・ボウルズ『シェルタリング・スカイ』

シェルタリング・スカイ』はベルトルッチ監督によって映画化されたことでも知られるポール・ボウルズの長編第一作。文庫解説の四方田犬彦によると、20代をパリ、モロッコラテンアメリカへの旅に過ごしたポール・ボウルズは30代でモロッコの港町タンジールに落ち着くと、カポーティバロウズギンズバーグといった錚々たる顔ぶれがタンジールに訪れ、ボウルズを中心とした文学サークルが成立していたという。世代的にいえば、バロウズらいわゆるビート・ジェネレーションよりちょっと上ということになる。二度の大戦を経て登場した文学作品に現代文明への強い不信感や厭世観がにじんでいても不思議はない。
シェルタリング・スカイ』に登場する夫婦ポートとキットは、カポーティの『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーのように社会への帰属意識を持たない人物として作中に登場する。ポートが「ツーリスト」ではなく「トラベラー」と自称していたこととホリー・ゴライトリーの名刺に「トラベラー」と書かれていたことは偶然ではない。ニューヨークという大都会でパーティーからパーティーへと漂白するか、ポール夫妻のように北アフリカの各地を転々としながらだんだんと未開の地へ足を踏み入れていくかは、一見大きく違っているように見えながら、帰属を拒むという点で共通しているのである。
 ポートとキットが夫婦としての行き詰まりを感じながらも、互いを必要としていたという事実は、おそらく彼らが共犯者として互いを理解しあっていたからだと思う。「世界からの逃亡」というおよそ不可能な試みの共犯者である彼らは、イスラム世界という異文化のただなかにあって、それでもまだタナーというもう一人の旅の同行者を世間のしっぽのように感じていたのではないだろうか。単純で人を疑うことを知らず、明るくおしゃべりな青年タナーは、無口で神経質なポートや感受性が強く、精神的に不安定になりがちなキットとは対照的な典型的米国人として登場する。
 タナーを置いてきぼりにし、それに前後してポートがパスポートを失うあたりから、ポートとキットの運命は加速的に弾みをつけて転がり始める。ポートは病魔に倒れ、キットは一人さまよっているところを旅の商隊に拾われる。彼らは今や皮肉にも望んだとおりか、それ以上にこの世界からの逃亡に成功する。ただ、男はずいぶん簡単にこの世からの脱出に成功したのに、女のほうはその何倍もの苦しみを味わうことになった。ホリー・ゴライトリーもそうだが、どうも「世間」は女への風当たりがきつい。女が自由になろうとすることは、それだけ受ける罰も大きい。キットの「脱出」がくりかえされることは、これを物語っている。
 ポートとキットはイスラム世界に逃げ込んだ。確かにイスラムキリスト教世界のカウンターかもしれないが、そこにはそんなこととは関係なく日常があり、生活がある。ポール・ボウルズはポートとキットの観念に傾きがちな性向と同時にイスラム社会の日常を克明に描いてもいて、それが『シェルタリング・スカイ』の魅力の一つになっている。渇きも砂嵐も群がる蠅もただそこにあるだけでポートとキットの「苦悩」などはどうだっていいのだ。そう考えると「シェルタリング」(=庇護する)空とポートが呼んだのは、おもしろくて、守らないことが、ただそこにあることが、むしろシェルターなのかもしれない。