女の一生 水村美苗『本格小説』

(ネタバレ)水村美苗のような作家のことをどう考えたらいいのだろうか。彼女は何よりもまず、読者である。憑かれたように小説を読み漁っていた時期があったにちがいない。水村美苗の最初の小説『続明暗』は、夏目漱石未完の長編『明暗』を書き継ぐという蛮勇が振るわれている。「続きが読みたい」「なければ自分で書いちゃえ」みたいなことが起こるのは、読者の欲望に忠実だからである。
 病は高じる。書きたい。でも、何を? 次に書かれたのは、その名も『私小説』。なるほど、日本近代文学を読み込み、内面化してしまった読者にとって、自然な発想だったかもしれない。本邦初の横書き小説と銘打たれたそれは、ときに英語の会話も交え、一見、「あの」私小説とは縁遠いものに見えたかもしれないが、異国に生きる私の孤独は、やっぱり「私小説」なのだった。
 まだ書くものがあるとしたら、それは小説そのものでしかありえない。ドストエフスキーやらバルザックやらディケンズやら、19世紀の何もかも小説で描きつくそうという時代の小説、あれを書いてみたいと思う。水村美苗が選んだのがエミリー・ブロンテの『嵐が丘』。『本格小説』は激動の昭和の日本に舞台を移した『嵐が丘』の翻案物である。しかし、現代において「本格」小説を日本語で書くのがいかに難しかったかは、序章にあたる「本格小説の始まる前の長い長い話」を読めばわかる。水村美苗がそこで語っているのは「日本語で『小説のような話』を書くことの困難」である。本格小説のような全体性への意志と日本語の構造が矛盾するという。理由はさだかではないが、断片的なもの、始めも終わりもないものが日本語ではより「ほんものらしさ」を獲得する。
 水村美苗は「ほんものらしさ」のためにさまざまな仕掛けを用意している。例えば、主人公東太郎は実在の人物で、アメリカで東太郎と水村美苗は交流があったことになっている。これは『本格小説』の語りに関しても言えることだ。『嵐が丘』は女中ディーンおばさんがヒースクリフの屋敷の間借人ロックウッド(わたし)に物語るという枠を持っている。『本格小説』の場合は、作者水村美苗のもとに加藤祐介という青年が訪れ、長年女中をしていた土屋冨美子という女から聞いた話を伝える構造になっており、読者はいまある現実から段階的に物語世界へと入っていく。
 このような困難に直面しながらも、水村美苗本格小説を書かなければならなかったのはなぜか。
嵐が丘』の狂気じみた恋愛を『本格小説』は見事に移し替えて展開してみせた。孤児である東太郎と宇多川よう子との運命的な恋愛。軽井沢というロマンティックな舞台。よう子の前から姿を消した東太郎がアメリカで成功し、人妻となったよう子のもとに再び現れたときに放たれた「絶対に許さない!」というよう子の叫び、よう子の夫となった重光雅之を含めたその後の奇妙な三角関係、三枝三姉妹の艶やかな魅力と微妙な力関係、したたかな姉春絵の思惑などなど、ぼくはほんとうにわくわくしながら頁をめくっていった。
 話がおもしろいのでつい忘れがちになるが、これを語っているのは、長年宇多川家の女中だった土屋冨美子である。事実関係だけでなく的確な分析で作中人物の心理を描写してみせる。抑制的で知的でありながら「です・ます」体の親しさがとても心地よい。しかし、よく読めば、物語の展開の要で、それを左右する人物こそ、土屋冨美子ではなかったか。信州の土くれから生まれたような女が持てる才覚を駆使して、裕福になるだけでなく、物語の作り手のような錯覚に彼女が陥っていなかったと言えるだろうか。東太郎とよう子が離ればなれになったとき、二人の橋渡しをしたのは、いつも土屋冨美子である。失踪したよう子を探して、軽井沢の洋館を訪れたとき、彼女は「うっかり」いちばん奥の部屋を探さなかった。それはうっかりだったのだろうか。うっかりでないとすれば、なぜ。
 いや、そんな詮索は些末なことかもしれない。東太郎とよう子の恋愛を語る土屋冨美子の語りを通して見えてくるのは、土屋冨美子という女の一生である。河合隼雄は『昔話と日本人の心』の中で、日本人の自我を表すのに適切なのは女性像であるとしているが、そうであるなら、土屋冨美子という女性を欺瞞の中に描くことこそ、水村美苗が『本格小説』を書かなければならなかった動機だったのではないか。2度目の結婚をして故郷へ戻っていた冨美子は、東太郎に乞われ、再び東京に出てきた。東太郎が用意したマンションのベランダで何度となく感じたという「何ともいえない寂寥感」は、彼女の「恋愛」に由来するものだったのか、それとももっと何か別のものなのか。『本格小説』は、戦後の日本人とは何かという問いかけに、女の一生という形で答えようとした一大ロマンである。