猫の行方 その4 平出隆『猫の客』

「運命ということばを好んでつかうつもりはないが、隣家から仔猫の訪れが繁くなるにつれて、しかし、このことばでしかいえないものがあると思うようになった」
平出隆の『猫の客』は昭和から平成に移り変わる時代を背景に、物書きの主人公とその奥さんの日常を一匹の猫とのかかわりを通して描く私小説風の作品。昭和の初めに建てられたという広い庭のある屋敷の離れを借りている主人公夫婦のもとに、東隣の飼い猫チビがやってくるようになった。仔猫のチビがはじめて入ってきたときの様子は次のように描写されている。
「ある明るい午後、その開き戸のわずかの隙をいつかしら抜けて来て、白く輝く四つの趾に半ば日曝しの簀子をことと踏んで、行儀のよい好奇心を全身に見せながら、貧しい部屋うちを静かに見渡していた」
 チビは気まぐれで、予想外の動きをする。ほとんど鳴かず、人に抱かれようとしなかった。主人公の奥さんは「チビちゃんには自由にしてもらう」というが、そんな奥さんの思いを知ってか知らずか、しだいに彼らの生活の中に深く入り込んでくるようになった。チビだけの出入り口が作られ、蜜柑の入っていた段ボール箱を専用の部屋としてもらうことになった。チビは「友だち」だと奥さんは言うが、事実、主人公夫婦にとって、チビは気まぐれに客としてやって来る友だちとしかいいようのない存在なのである。
 境界と所有。チビが主人公夫婦にもたらした喜びと悲しみは、この二つの言葉に集約される。東隣の飼い猫であるチビは、板塀の下をくぐり、夫婦の借りている離れにやってくる。猫にとって人が引いた境界線は、何の意味もない。人が引いた境界をするりと越えてやって来る猫が、かわいくないはずがない。奥さんの「動物が好きにしているのがうれしい」というチビに対する距離をとった言葉は、いつか「これ、うちの猫じゃないの?」に変わっていた。
 猫に思い知らされるというのも、変な話だが、奥さんが隣家の不在時に預かった宅配の荷物を届けに行ったとき、玄関で待っていると、最初に出てきたのは、チビだったという。ほとんど鳴くことがないと思っていたチビが、「長々と口上を述べ」、奥さんはあっけにとられた。「その内容は、(…)社交辞令的なもので、天候にまつわる挨拶や隣近所同士の世辞というものだったように思う」と奥さんは夫に報告した。奥さんは、もううちの猫も同然という気持ちになっていたかもしれないが、そうではなかったのだ。ぼくはこのエピソードにすっかり動揺してしまった。
 この「うちの猫じゃない」という事実が、主人公夫婦に深い悲しみをもたらす。かつて内田百閒は「猫は人を悲しませる為に人生に割り込んでゐるのかと思ふ」(「泣き虫」)と書いた。まるで風が部屋の隙間から入ってくるようにやって来た猫が、主人公夫婦のものでなかったということで、より悲しみが深くなる。引っ越し先で、猫を飼うことになったとき奥さんは言う。「わたしの猫」
 あの小さな生き物に、人はいろんなものを見る。もちろん、猫もこちらを見ているが。