裸の王様とどろぼう少女 佐藤春夫『田園の憂鬱』

感受性が強いのだか、繊細すぎるのだか知らないが、都会生活に疲れ果てたという若い芸術家が元女優の女と犬二匹、猫一匹を連れて田舎の一軒家に移り住む。梅雨の長雨がいつまでもやまないうっとうしい天気の中、芸術家は幻聴や幻影といった病的な感覚に悩まされる日々を送る。
 突然、気まぐれに木々が茂り放題だった庭の手入れを始めてみたり、本を読みかけても集中力が続かず、鬱々した気持ちを女にぶつけてみたりと本人には深刻かもしれないが、はたから見れば実に気ままとしか言いようのない生活である。そのへんの枯れかけたバラや虫に自分の姿を見出したりするのもまあいい気なもので、いわば芸術家きどりの裸の王様である。
 どれだけ世間の喧騒から遠く離れようと、自分を尊敬してくれる女やペットとともに暮らそうと、やはり男は隠れきることはできない。というよりも、身の回りを水も漏らさぬような防御で固めようとすればするほど、ほんのわずかな風の音でさえ彼を脅かすようになってしまう。佐藤春夫の同時代人で作家内田百閒は「木蓮や塀の外吹く俄風(にわかかぜ)」という句を残しているが、いかにもいつも外の様子に神経を尖らせていた鋭敏な作家の気質をうかがわせる句。『田園の憂鬱』の主人公もまた同様に繊細さと傲慢さを自分で抑制できないようにみえる。
 そんなある日、女が観劇で東京に出かけひとり家に残されていた男が飯を炊くため火をおこそうと孤軍奮闘していると音もなく忍び寄る人影がある。よく見るとそれは隣の家の十三になる女の子のお桑だった。しかし、明るい性格のお桑はいつも遠くから大声で何か言う声が聞こえたり、口笛を吹いていたりするのに、今日に限って影のように忍び寄るのは奇異な感じだと男は思う。
「お桑さか?」
「おおっ! びっくらした! 小父さん居なったか」
 あとになって彼は、少女は家の薪を盗みにきたのだろうと推測する。現実の貧しい少女の姿がリアルに捉えられたこの場面は、王国の防御を事もなげに破って現れたどろぼう少女と裸の王様の出会いがとても感動的だ。この一場面が『田園の憂鬱』という小説のリアリティを支えている。