「わかる」という陥穽 吉田健一『ヨオロッパの世紀末』

 

ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

 

  ぼくがまだ学生だったとき、ある先生が「吉田健一は『ヨオロッパの世紀末』ですよ」と言ったのを覚えている。もう30年近く前のことだ。小説、評論、エッセイ、翻訳等幅広く活躍した文学者吉田健一の代表的な評論である本書を、学生時代のぼくが読んで理解できたとは思えない。いや、今だってそうだ。わからなかったところがたくさんある。ただ、多少の当てずっぽうもふくめていうと、吉田健一は『ヨオロッパの世紀末』において「わかる」とは何かということそのものを問題にしているのである。

「我々がヨオロッパの世紀末に覚える郷愁は再び戻って来たヨオロッパというものの懐かしさである。それはヨオロッパ人以外のものに限らずヨオロッパの発見でもあり、世界史の上でも前例のないヨオロッパの膨張、あるいは進展があった十九世紀という一時期にこの文明の特徴がどこのものでもあるまでに一般化する傾向を示して特徴というほどの性格を失い、ヨオロッパというものが我々の納得がいく根拠がないままに何か人間に与えられた各種の規範の陳列所も同様のものになったということもあってヨオロッパそのものの実質が考え難くなった後で世紀末まで来ると、そこにヨオロッパがある」

 まず何と言ってもこの文体だろう。岩波文庫の解説で辻邦生はこの独特な文体を「明晰な晦渋体」と呼ぶ。うねうねと曲がりくねった道の先に突然目を瞠るような眺望が開ける(こともある)個性的な文体が、辻邦生が言うように明晰さと晦渋さを同居させているのは、思考の一般化を拒んで本質的なことを生のまま見せようとするからではないだろうか。

 似たような例として、いや、文体が似ているわけではないが、例えば内田百閒には有名な「イヤダカラ、イヤダ」がある。昭和42年、百閒は芸術院会員に推薦されたが、「イヤダカラ、イヤダ」として辞退した。もっともらしいことを言えば言えるはずだが、言いたくないのだ。なぜ、言いたくないか、いやだから。これには終わりがない。

  吉田健一が本書でくり返し言うのは、様々な観点からヨーロッパが完成を見たのが18世紀だということだ。そこには優雅で寛容で人間らしい生き方があった。しかし、19世紀に入ってヨーロッパは「愚劣、偽善、粗雑」な世界に陥った。19世紀がこうした堕落に見舞われたのは、硬直した観念が支配的になったからである。

「(…)十九世紀のヨオロッパでは詩は読んで泣くものだった。そうすれば後腐れなくて文学、あるいは美、あるいは何かに供物を捧げた後で安心して自分の商売に戻れるからだったが、(…)しかしボオドレエルの詩は泣くことも出来なくて、言葉の感覚を失ったものにとって彼の詩で解るのは女と寝ながらアフリカのことを思うという程度のことでしかなかった」

 吉田健一によると、再び本来のヨーロッパが見出されたのは、19世紀末のことである。「ボオドレエルの時から世紀末が始まる」と吉田健一は言う。すなわち、決められた枠の中で「文学」なら「文学」という慣例のごとく行われていたところへ、ボードレールの詩が現れた、あるいは印象派の絵画が現れた。18世紀ヨーロッパがヨーロッパの完成形で、19世紀はその劣化版でしかないという見方の当否は、ぼくにはわからない。しかし、ここで重要なことは、当時ボードレールをはじめとする象徴派詩人たちは「難解」だと言われ、印象派は批評家の嘲笑を浴びたという事実である。そして、こうした芸術が「ヨオロッパ」が再発見される契機となった。

 吉田健一が18世紀と19世紀の対比の中で見ようとしていることは、決してヨーロッパに限ったことではない。その矛先は日本にも向けられている。

「(…)今日の日本の一部で見られるような文字を解する文盲の社会が出現し、これがミュッセを愛読し、ボオドレエルの詩からさえも不道徳ということぐらいしか受け取れなかったのは怪しむに当らない」

 この恐ろしく辛辣な言葉ほど今の日本に必要な言葉はないと思う。

「もう一度文盲と文字を解する文盲のことに戻るならば、それによって明かであるように、字を読む、あるいは言葉を受け取るのに或る最小限度の努力が必要であるのは当然であって、読んで字の如しという種類の言い方を鵜呑みにして言葉は機械的に伝わるものと考えていれば丁度その程度のことしか言葉から得られない」

 考えろ。ごく簡単に言うとこうなる。

 ここでもう一度、最初に書いた「わかる」ということについて、考えなければならない。最初に書いたように『ヨオロッパの世紀末』には、ぼくにはまだわからないところがある。特にヴァレリーキリスト教に関する部分はほとんど歯が立たなかった。しかし、「わかる」にも「わからない」にもそれなりの意味があって、19世紀にとって何らかの〈異物〉として出てきたものがヨーロッパの再獲得に一役買ったのだった。

 逆説的になるが〈不快〉〈不道徳〉〈病的〉と受け取られたものが、かつての寛容で優雅なヨーロッパを取り戻したのだ。「わからない」不快なものを不快だからと切り捨てて、「わかる」心地よいものだけをよしとして、涙流して気持ちよくなってるような社会を「愚劣、偽善、粗雑」だと吉田健一は言ってるのだと思う。まさに19世紀のヨーロッパは社会全体が「わかる」こと(既成概念)がもたらす陥穽に陥っていたようなものだ。詩がただ詩であり、絵がただ絵であるというのは、案外難しいことで、気がつけば「のようなもの」に代用されている。