やっぱり穴だらけ 小山田浩子『穴』

 予備知識なしで読み始めたのがよかったのだと思う。テンポのいい文体に気持ちよく引き込まれながら、気がついたらまさに穴、作者の思うつぼ、いや、思う穴にはまり込んでいたのだった。おもしろがればいいのか、気味悪がればいいのか、どうやらどちらともつかないところに、穴はぽっかりとあいているようだ。もちろん、ぼくは小山田浩子芥川賞受賞作『穴』のことを言っているのである。
 夫の転勤を機に会社を辞め、夫の実家のある田舎に引っ越してきた「私」は、午前中に買い物を済ませると、夫が帰って来るまで、特に何もすることがない。家は姑のやっている借家で家賃はいらないというので、「私」はすぐに働きに出る必要もなくなってしまったのだ。読者のこっちが、それでいいの? 何かとめんどうなことになるんじゃないの? と心配になる展開。ところが「私」は案外無頓着に「ただただありがたいよ」と受け入れる。このようにして「私」は自分の時間を切売りする勤め人であることを辞め、終わりのない夏休みが始まる。
 姑の頼まれごとでコンビニに向かう「私」は川沿いの遊歩道を歩くが、このあたりの描写でさりげなく文体のギアチェンジが行われる。さらに、経済活動に従事し、時間を切売りしている人間の目には映らないであろうものが見え始める。
「濡れ濡れと光る、大きな犬の糞が落ちていた。その上部に銀色の蠅が二匹とまっていた。犬の糞が彼らの食糧だとして、それに手も足も顔も埋めて食べるというのはどんな気分だろう」
 そして、「私」は見たこともない「黒い獣」を見、それを追いかけているうちに土手の穴に落ちるのである。ちょうど胸のあたりまで穴にすっぽりとはまってしまう。「私」は「黒い獣」の話を夫にしてみるが、相手にされない。しかし、「黒い獣」は再び現れ、「私」は獣に導かれるようにして、実家の裏手の物置小屋に住むという夫の兄「義兄」に出会う。「私」は夫に兄がいることを、夫からも姑からも聞いたことがなかった。「義兄」は言う、自分は大きな流れから逃げたんですよ、お嫁さんは好きでこれを選んだんだろうけど。引っ越す前には「会社員」だった「私」は夫の実家がある田舎では「お嫁さん」になっていた。
 流れに加担していた者が、偶然にも流れからそれる機会を得て、そこから逃げた者に、名前のない獣に、穴に、行き当たる。流れに加担しているものが、その場所が大きな流れの中にあることに気づかない。川やコンビニにわらわらとわいて出たような子供たちは「ぼくら邪魔なん?」というけれど、なるほどやつらも「まだ」向こうなのだった。
 穴や黒い獣は何を意味するのかと問うのは、ある意味、傲慢だと思う。そうではなく、本来世界は穴だらけ、黒い獣だらけなのではないかと疑ってみる必要がある。「加担」という意識もないまま、その流れに属するものは「名付け得ぬもの」たちの穴をせっせと埋めようとしているのかもしれない。
「穴だらけじゃ! 穴だらけじゃ!」という子供たちの声が川面に響き渡り、やっぱりそうかと思うと、うれしくもあり、恐ろしくもある。