相対化を越えて 村田沙耶香『殺人出産』

 かつて殺人は悪だった。しかし、人口の極端な減少に歯止めをかけるべく、新たなシステムが採用された。それが「殺人出産」だ。「産み人」は10人産んだら一人殺してもいい。つまり、強い殺意が新しい命へのきっかけになるということだ。
 殺人は悪という常識を覆す制度を導入することで、現在の常識を相対化する程度の発想ならつまらないと思っていたが、なんにせよ「食わず嫌い」はいかんってことがよくわかった。
 「私」(育子)の会社でも同僚が「産み人」になるなど、制度はすでに身近なものになっていたが、一方で殺人を悪とし、旧来のセックスによる自然分娩の復活を目指す活動をするグループもある。育子は姉の環が「産み人」であることを他人には隠していたが、ある時、同僚の一人で「殺人出産」制度に反対する早紀子が環に会わせてほしいと言ってきて…。
 確かに現代の常識は相対化されている。殺人出産制度の定着だけでなく、若い女の子のあいだで、蝉やトンボのスナックがはやるとか、細部まで変化が印象付けられる。もちろんどちらが正しいという話ではない。育子は殺人出産をいいと思っているわけでも、殺人が悪だと思っているわけでもない。どのような制度が運用されている世界であれ、その世界に生きている以上、制度運用上の原則から逃れることはできないという覚悟があるだけだ。具体的に言えば、「産み人」がいれば、殺される人「死に人」がいるという事実である。「死に人」には一か月前に通告が行く。逃げも隠れもできない。
 命の存続のために、別の命を必要とするという事実は、文明がどんなに進もうと変わらない。変化するのは、その社会や時代がその事実をどう扱うかだけだ。現代の日本社会はその事実をできるだけ見えないようにしているが、村田沙耶香の「殺人出産」は、そうした事実の可視化だと、ひとまずは言える。ただ、そこで終わりではない。
 むしろ、村田沙耶香の本領は生に関わる厳然たる事実を制度という概念で終わらせないところにある。一言でいうと、気持ち悪いことをいっぱい書きたい人なのだ。育子の姉の環は、抑えきれない殺人衝動から「産み人」になった。凄惨な殺人のシーンをとくと見せてくれるのである。ああ、すごいな、見事だな、こういう作家はなんか信じれるな、そう思わせてくれるのだ。最後に見せるオチもフェアで好感がもてる。
 短編「トリプル」で見せるトリプル(3人の恋人)のセックスは、この上なく気持ち悪いんだけど、そのあと描かれるカップルの「普通」のセックスも気持ち悪く見えて、こういうの作家の筆の力というんだなと思わず笑った。