二元論を超える ル=グウィン『こわれた腕環 ゲド戦記2』

 カルガド帝国のアチュアンの墓所の大巫女が死ぬと、周辺の町や村から同じ日の夜に生まれた女の子が探し出され、墓所の大巫女になるべく連れてこられる。5歳の女の子は1年の教育期間を経て、一生地下の精霊である「名なき者たち」に使えることになっている。大巫女は名前を持たない。少女は、テナーという本来の名前を名なき者たちに返上し、アルハ(喰らわれしもの)と呼ばれることになる。
 アチュアンの墓所には地下迷宮がある。その奥深くにエレス・アクベの腕環と呼ばれる宝が眠っているという。かつて多島海域からやって来た魔法使いからカルガドが奪ったものだ。たびたび腕環を奪い返そうと魔法使いがやってくるが誰も成功していない。アルハは、大王の墓所の巫女であるサーとコシルから地下迷宮や宝物ついて聞かされていた。夜ごと地下迷宮を一人探索したアルハは、いつしか地下こそ自分の場所であると考えるようになっていた。そこへエレス・アクベの腕環を奪い返すためにやってくるゲドだったが…
こわれた腕環』の実質的な主人公は、物語の半ばまで登場しないゲドはなく、テナーだといっていい。第2巻は、第1巻『影との戦い』の「真の名」という主題を引き継ぐとともに、墓所や地下迷宮といった闇の世界そのものが主題化されている。おもしろいのは、第1巻で影との死闘を制し、魔法使いとして立派に成長したはずのゲドが、意外なほど簡単にアルハのような少女によって囚われの身になってしまうことだ。迷宮とアルハが一つのもので、アルハがアルハであるうちは、迷宮から出ることはできないことをゲドは知っているかのようだ。
「わたしはここに盗人としてやってきた。武装して、あんたの敵として、しのびこんだ。ところが、あんたはわたしを信頼し、親切にしてくれた。そして、わたしもあの墓の下の洞窟ではじめてあんたをみたその瞬間から、あんたを信じるようになってしまった」
 深い闇の中で、このように大巫女アルハに話しかけるゲドは、「喰らわれし者」であるはずの、つまり身も心も闇の者たちにゆだね、からっぽであるはずのアルハの中に、少女テナーが生きているのを見たからにちがいない。
こわれた腕環』は、迷宮から脱出するという象徴性を帯びた物語が、こわれた腕環が一つになるようにゲドとテナーの共同作業によって成り立つことを示している。当然のように、アルハがテナーとして生き直す決心をしたとき、「名なき者たち」によって支えられていたアルハ=地下迷宮は姿を消すのである。ル・グウィンは腕環を奪還するゲドの視点からでなく、宝物を守る立場である墓所の巫女の視点からこの物語を書いた。アルハにとってそうであるように、読者にとってもゲドは地下世界への闖入者、盗人として登場する。読者もまた、アルハ同様、太古のから精霊たちの支配する地下世界に生きることを求められているのである。
一見、『ゲド戦記』は善と悪、生と死、光と闇といった二元論的な世界観で成り立っているかのように見える。しかし、アルハ/テナーである少女、闖入者/救出者であるゲドの関係性は、そのような単純な見方をはっきり否定している。なによりアルハであることをやめ、テナーとして生きる選択をした少女が、最後にゲドに向ける怒りは、変わることの難しさと同時に、矛盾を抱えることが生きることであるということを教えてくれる。