死と魔法 ル=グウィン『さいはての島へ ゲド戦記3』

大賢人となったゲドが院長を務める魔法の学院に多島海域の各地からまじない師が呪文を忘れたり、魔法が効かなくなったりするという報告がもたらされていた。ゲドは一連の不審な出来事の謎を究明するべく、英雄モレドの血を引くエンラッドの王子アレンとともに、はてみ丸で西の海域へと向かった。その旅の途中で二人が目にしたものは、魔法が効力を失っただけでなく、人心の荒廃し、無法地帯のようになった町や村の様子だった。そうした旅を続けるうち、彼らの行く手に待ち受けるのは、闇の世界の王と呼ばれている永遠の命を獲得した男らしいことがわかってくる。
 ゲド戦記シリーズは「世界の均衡」という大きな観点から自然と人の関わりについてストーリーを展開してきた。第二巻『こわれた腕環』の闇の世界(言葉以前の世界)を経て、本書『さいはての島へ』では「死」という根源的な主題を扱っている。同時に問われなければならないのは、やはり「魔法」とは何かということである。あの世とこの世を自在に行き来する不死の男の登場によって、自然のバランスが崩れ、魔法が効力を失ったと考えることは簡単である。しかし、かつて一人前の魔法使いになる前、絶世の美女とうたわれたエルファーランを死者の世界から呼び出し、その結果現れた影との死闘を演じたのは当のゲド本人である。
 また、死者をこの世に呼び出すことができる魔法についてアレンに問われたゲドは、かつてその術を気ままに使っていたクモという男のことを思い出す。それを見ていたゲドは、クモを黄泉の国まで連れて行いったことがあるという話をする。クモは死を非常に恐れていて、もう二度と呼び出しの術は使わないと土下座して謝ったという。そして、ゲドは次のような意味深な言葉をつぶやく。
「夢に限った話じゃないんだなあ、長い間忘れていた遠い過去の中で未来に起こることにすでに出会っていたり、重大なことなのに、その意味をわかろうとしないために、つい、たいしたこととも思わず、平気で口にしたりってことは……」
 それが不完全な形であれ、死にたくない、いつまでも生きていたいという望みを実現させることができるのは、魔法だけであり、それを実行したクモという男とゲドは深いかかわりを持っている。この事実は魔法そのものが自然の均衡を壊しかねない恐ろしい力であるということを物語っている。
 不死を実現させようとするクモのたくらみをゲドは「邪(よこしま)なるもの」と言うが、この世界のどこかに存在する真に邪なるものを打ち砕く大賢人ゲドという構図がもし正しいなら、『さいはての島へ』という物語は、勝者を正義とするパワーゲームにすぎなくなる。
「おれは自然を支配する人間だ」「おれは自然のたどる道はたどらない」と叫ぶクモの姿を醜いものだとするなら、作者はゲドがどのようにして今持っている力を手放していくのかという課題に直面する。その意味ですべてが終わったとき、ゲドが魔法を失うのは、魔法という力に対する作者の答えとなっている。