認識の死角 吉田修一『女たちは二度遊ぶ』

「どしゃぶりの女」「殺したい女」「自己破産の女」「泣かない女」など、何気ない日常風景から唐突に訪れる破局の瞬間まで、11組のいまどきカップルを描く短編集。
「泣かない女」には、パチンコに夢中になっていた両親が車に残した赤ちゃんを死なせてしまうエピソードが出てくる。その母親が再びそのパチンコ店で遊んでいたという後日譚は、底なしの恐怖を感じさせる。パチンコ店に勤める智子はとても涙もろい女。テレビを見ては泣き、職場で叱られてはまた泣く。智子と同棲している失業中の「ぼく」は、智子に妊娠したことを告げられるが、とても自分からはおろしてくれとは言えず、友人に頼んで電話で智子に伝えてもらった。泣き虫の智子が「ぼく」の友人からの電話でも、その晩「ぼく」の前でも泣かなかった。智子が「ぼく」にパチンコ店での後日譚を伝えたのはこのときだ。そのとき「ぼく」は思う。「自分の不注意で赤ん坊を死なせた場所に、その母親がどんな顔で来られるのかわからなかった」
 短編集『女たちは二度遊ぶ』で描かれる恐怖は、自分がしていることの意味をまったく理解しないことに由来するのであり、だれもが持ちうる認識の死角なのである。そのような死角の存在を、何が認識されていないのか明示しないまま浮き彫りにする。吉田修一が書こうとしていることの微妙さとうまさに驚かされる。もうどきどきしっぱなし。