死者にしてあげられること 白岩玄『空に唄う』

「私、死んじゃったんですか」23歳の新米僧侶海生が葬儀デビューを果たしたその夜、亡くなったはずの女子大生が現れた。おそるおそる尋ねる海生。「…碕沢さんですよね?」「はい」「…お亡くなりになりましたよね?」「やっぱりそうなの?」
 碕沢さんがいうには、自分の姿が見えるのは海生だけ。寒さも痛みも感じない。身の回りにあるものを自分の力で動かすことができない。つまり、彼女が頼れるのは、この世に(という言い方もヘンだけど)海生ただ一人ということだ。碕沢さんは海生の部屋に住むようになる。海生は思う。
「こんなときにバカみたいな感想だけど、彼女は美人だ。いろんなことをすっ飛ばしてそう思ってる自分が情けなかったが、目に映る現実が作り出す感情は正直で、あらがうことができなかった。彼女は美人だ。でも死んでいる。そして僕にどうしたら信じてくれるのかを尋ねている。」
 このせつなく、こっけいな小説が同時にひどくつめたいのは、白岩玄が海生のかわいい感じ、悪く言えばバカっぽさをきちんと距離をおいて描いているからだ。僕に何かしてあげられることがあったら、言ってくださいね。そう海生はくり返す。そして碕沢さんのリクエストがなくても海生は碕沢さんにいろいろなものを買い与える。そのたびに見せる碕沢さんの戸惑いの表情に、ぼくは胸がしめつけられるような思いがした。(誤読と言われそうだが、碕沢さんと海生の関係性の向こうに監禁事件のような凶悪なものが透けて見える)
 美人の碕沢さんが自分の身近にいることで舞い上がるのは、すごくよくわかる。何かを買ってあげたくなる。でも、碕沢さんが喜んだのは、そんなことじゃなかった。彼女はもう死んでいるのである。碕沢さんが楽しそうだったのは、いっしょにお経を唱えること、犬の散歩に行くこと、お祖父さんの機嫌のいい様子をなんとなく眺めること。海生の女友達は言う。「なんでもかんでも人が望むようにするのは自分を守ってるだけだと思うよ」
 碕沢さんが消えてしまってから、彼女にふられたかとからかう友達に海生は言う。「いや、逃げられたというか、こっちがずっと逃げてたんだよ」白岩玄は『野ブタ。をプロデュース』で自分を守ってくれる着ぐるみとしての「キャラ」を描いた。新米僧侶というのはいわばコスプレ。海生はコスプレ僧侶から次の一歩を踏み出した。