「お約束」の効用と罠 ほしよりこ『逢沢りく』

「まだ上巻しか読んでない(ゆっくり読む漫画だと思ったから)」
「ものすごく泣いた」「ほしよりこの才能はほんものだと思った」
「キャラを書くのがうまいと思った」
これはぼくの周りで『逢沢りく』を読んだ人から聞いた感想。みんなばらばらなのがすごい。
 逢沢りく、14歳。美少女。クラスメイトは彼女を「特別な存在」だと思っている。彼女もそう思っている。彼女は泣きたいとき、いつでも泣くことができる。でも、「悲しみ」が何なのかわからない。そして、ほぼ100%動物に嫌われる。
 逢沢りくが「特別な存在」だというのは、美少女だからではない。逢沢りくだけが「お約束」の世界に参加していないからだ。逢沢りくの母親は、「自分の欲望に気づかない女」という役回りで娘を支配し、苦しめる。夫の浮気相手がプレゼントした小鳥を握りつぶしたかったのは、娘ではなく母親のほうだ。でも、実際にそれをしたのはりく。14歳の娘は、つねに二重性を帯びたメッセージにさらされ続けた結果、母親の言葉ではなく欲望を「正確に」捉える母親の分身でしかなく、まだ、自分をもっていない。
 逢沢りくは両親からの愛情を感じることなく育った。あるのは母親に認識してもらいたいという気持ちだけであり、そのために磨かれた技術。彼女は、なんなく涙を流すことができるが、それは人が見ているときだけだ。
 そんな逢沢りくが関西のおばさんにち預けられる。関西は関西弁という新たな言葉環境を逢沢りくに提供する。逆説的な言い方になるが、言葉は言葉にならないものがあるということを知らなければ、生きたものにならない。大阪のノリ・ツッコミも京都のいけずも形式的には「お約束」の世界である。『逢沢りく』は主人公の少女がどのようにして自分の言葉を獲得するのかというお話なのだ。
 ほしよりこはここで難しい問題に直面する。逢沢りくという女の子を「お約束」の世界に参加させてしまえば、漫画は死んでしまう。しかし、彼女に何らかの変化がないことには、お話として成立しない。
 ほしよりこが用意した結末は、これしかないというものだったと思う。鳥、そして子供。ずっと「テク」だけで生きてきた逢沢りく。「お約束」の外にいるものの言葉だけが彼女に届く。それをぎこちなく復唱することによって、彼女が得たのは、自分の言葉と同時に、言葉にならないものに触れることができたという実感である。