「人生というものは…」 マンスフィールド『マンスフィールド短編集』

 長編作家、短編作家という言い方があるけど、マンスフィールドは典型的な短編作家だ。ニュージーランド出身で、ロンドンに留学後イギリスで作品を発表した。34歳という若さで病没するまでに数冊の短編集を出している。
 短編作家というのは、もちろんマンスフィールドが短編しか書いていないということもあるが、チェーホフに傾倒して小説を書き始めたという彼女の短編は、鮮やかに人生の一断面を切り取ることによって作中人物の人生を浮かび上がらせるという、あの短編、ああ、そうだ短編小説が読みたいと思ったとき、その欲求を過不足なく満足させてくれるものだからである。阿部昭が『短編小説礼讃』(岩波新書)でマンスフィールドの代表作の一つ「園遊会」を取り上げているのもうなずける。
 ガーデン・パーティーを当日に控えた朝、ローラは近所の貧民街に住む荷馬車屋が事故死したことを知る。ローラは家族にガーデン・パーティーの中止を訴えるが、聞き入れてもらえるはずもなく…。
 マンスフィールドの手法として注目されるのが、上のものと下のもの、きれいなものときたないもの、幸福と不幸といった相反するものを短編の中に並置することによって、作中人物に人生の異なる断面を見せるというものだ。「園遊会」のローラは自分はこんなに幸せなのに、近所に事故死した男がいるという事実にとまどう。ローラにはまだ世界は自分の気持ちにかかわらず、動いているという単純な現実を実感できない。しかし、ローラの家族にしたら、それはガーデン・パーティーを中止する理由になるどころか、心動かされる出来事でさえない。「人生というものは―」とだけ言って口ごもるローラは、まるで初めて「人生」という言葉を口にしたかのようだ。
 チェーホフの対比で言うと、マンスフィールドの短編はわかりやすすぎるという難点がある。確かにローラにとって、「人生」という発見があったかもしれない。しかし、「園遊会」の読者もローラのように人生の不思議を感じるわけではなく、むしろローラの青臭い主張を煙たがった母親やローラを優しく見守る兄のような感想を持つ。チェーホフがすごいのは「犬を連れた奥さん」や「かわいい女」は作中人物以上に読者が「人生って…」とつぶやきたくなるところだと思う。
 短編集の中でいちばん長い「湾の一日」は、そうしたわかりやすさからさらに一歩進んだマンスフィールドの姿を見せている。とある避暑地の湾の一日を通して、そこに遊びに来ている家族や子供たちが生き生きと描かれ、次第に人間関係や背景を浮き彫りにしていく手法は、解説にもあるように映画的でもあり、彼らを包み込む自然が描かれることで、彼らの人生もそこにあるという確かさが感じられる。手法を尽くした末に期せずして現れる何か、それがここにある気がする。