人間の輪郭 高山羽根子『うどん キツネつきの』

うどん キツネつきの (創元SF文庫)

うどん キツネつきの (創元SF文庫)

 

  高山羽根子の名は2019年に「居た場所」と「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」が芥川賞候補になったことで知った。調べてみると、『うどん キツネつきの』という短編集が創元SF文庫から出ている。まず、タイトルに惹かれた。さらに「パチンコ屋の屋上で見つけた犬に似た奇妙な生き物を飼う三姉妹をユーモラスに描く」という作品紹介を見て、これは好きなやつと確信した。

 ちょっと唐突かもしれないが、グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」を思い出してほしい。ロバ、犬、猫、にわとりが力を合わせて泥棒たちを追い払う話だが、泥棒たちが年老いた動物たちに驚いたのは、ロバ、犬、猫、にわとりがそれぞれの背中に乗って、窓際に現れたシルエットを見て、不気味な化物が出たのだと勘違いしたからだ。

 勘違いなら、マヌケな泥棒たちで済む。しかし、本当に勘違いなのだろうか。『うどん キツネつきの』には表題作をはじめ、5篇の短篇が収録されている。高山羽根子がこれらの短篇を通して読者に提示するのは、人間という輪郭線の組み換えである。

 ペットと言ってしまえば簡単だが、三姉妹が長きにわたって必死に育てている犬に似た生き物は、ペットと人間という単純な関係性の枠には収まりきれない。表題作「うどん キツネつきの」の中では誰もが何かを飼っていて、その生き物は、飼い主と一心同体というか、ブレーメンの音楽隊の動物たちのように、シルエットを見れば、あたかも一つの生き物のように見えるのだった。

 印象的だったのが、三姉妹が母親の実家で見つけた母親が子供の頃の写真だ。玄関前に少女が気をつけをして立っている。その少女の肩にはなんとフクロウが止まっている。僕がブレーメンの音楽隊の話を思い出したのは、このくだりからだ。この写真をシルエットで見れば、少女の肩に奇妙な盛り上がりがあるってことになるが、いろんなものの影を引き連れているのが人間なのではないか。もっと言えば、所詮人間なんて遺伝子の乗り物にすぎないという発想にもつながる。

 短編の終わりに姉妹が狐憑きの話をする。さらに奇妙な犬のような生き物うどんの正体を示唆するようなくだりが出てくるが、空から降りてきた三匹の狐を見て、私たちみたいだと思う三姉妹は、すでに「人間」の輪郭を大きく逸脱したものになっているのである。

 その他、子供が書いているブログに出てくる成長する機械「ラジオ」なるものの行方を追ううち、この世とあの世の境界のような場所にたどり着く「おやすみラジオ」、安アパートに住む一癖も二癖もある人々を描く「シキ零レイ零 ミドリ荘」、三つの時代と場所が交錯し、巨大なイメージに希望が託される「巨きなものの還る場所」、小さな島で16人もの姉妹が特殊な訓練を受けて暮らしている「母のいる島」など、高山羽根子の短編は個人の意志とは異なるレベルで別の世界につながっている人間の姿を描き、その輪郭線を組み替えるというテーマは共通している。その底流にあるのは安易な「人間」像に対する強い違和感だろう。そこから出発して、読者は意外な展開とともに思わぬ場所まで連れていかれる。