さよならを言うのは難しい レイモンド・チャンドラー『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』

「おれたちにはパリがある」
映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードのセリフだ。抵抗運動の指導者である男は、ナチの手を逃れ、仏領モロッコにやって来る。そこでアメリカ行きの機会をうかがうのだ。男はモロッコでボギーの経営するナイトクラブに現れるが、男の妻(イングリット・バーグマン)は、かつてパリでボギーと愛し合った元恋人だった。再燃する恋心。アメリカ行きをためらうかつての恋人を説得するために発せられたのが、冒頭のセリフ。かつてパリで愛し合った日々がある。それがあれば、生きていくことができる。これは過去、あるいは、失われたものとのとてもいい関係性である。
 レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』を読んでつくづく思ったのは、さよならを言うのはとても難しいということだ。テリー・レノックスは、かつての妻に再会したとき、ボギーのように言うことができたろうか。答えは否である。互いに損なわれたうつろなう入れ物でしかない人間には、過去にお別れを言うことなんてできない。彼らは過去に乗っ取られた亡霊なのだ。
 私立探偵フィリップ・マーロウが初めてテリー・レノックスに出会ったのは、レストランの駐車場で、レノックスは酔いつぶれていた。「顔は若々しく見えたが、髪は真っ白だった」。マーロウは、連れの女に置き去りにされた「顔に傷がある白髪の青年」レノックスを「迷子の犬」を拾うようにして、自宅に連れて帰り介抱した。
 普通はレストランの駐車場で偶然出会った酔っぱらいを自宅まで連れて行って面倒見てやるようなことはしない。つまり、二人が出会った時から普通でないことが起こっているということだ。その後、レノックスとはたびたび会って、バーで飲む関係になったが、そんなある朝、取り乱したレノックスがマーロウ宅に現れ、メキシコ行きの飛行機に乗るため、空港まで車で連れていくことを要求する。レノックスを空港に送って帰って来るとすぐマーロウは警察に拘束され、レノックスの行方について尋問される。数日の拘束ののち、解放されたときマーロウはレノックスが妻シルヴィアを殺害したことを告白する手紙を残して自殺したことを知らされる。この結果に納得できないマーロウは真実を探ろうとするが、殺されたシルヴィアは富豪ハーラン・ポッターの娘であり、各方面からこれ以上事件に深入りするなという圧力がかかる。そんな折、ベストセラー作家の妻アイリーン・ウェイドからアルコール依存症の夫ロジャー・ウェイドの行方を捜してほしいという依頼が入る。これはシルヴィア・レノックス殺害事件とは別件と思われたが…。
 まず言いたいのは、『長いお別れ』が推理小説としてとてもよくできた小説だということだ。ぼくがこの本を最初に読んだのは学生時代だったような気がするが、今回再読して思ったことは、自分は何もわかってなかったということ、『長いお別れ』をよくできた推理小説以上のものとして捉えていなかったということだ。村上春樹は『騎士団長殺し』で免色という白髪の作中人物を描いた。これはもちろんテリー・レノックスという人物が反映しているわけだが、両者に共通して言えるのは、現在を生きることができなくなってしまったということだろう(村上春樹に関していえば、小説の構成から文体に至るまで、彼がいかに『長いお別れ』に影響を受けているか、今さらながらよくわかった)。
 最初に書いたように過去に乗っ取られた亡霊とどのように決着をつけるかというのが、『長いお別れ』の主題である。マーロウはレノックスを正しくあの世に送らなければならない。そして『長いお別れ』はさよならを言うまでの格闘の記録である。ロバート・アルトマン監督の映画『ロング・グッドバイ』は、原作とは全く違う結末を用意しているが、ロバート・アルトマン一流の解釈としてとても納得がいくものだ。