書物と世界の関係 その1 フィリップ・K・ディック『高い城の男』

「もう一つの事実」
 これはトランプ大統領就任式の際、聴衆の数をめぐって飛び出した発言だ。明らかに聴衆が少なかったのに、大統領報道官は「過去最大の聴衆だった」とした。この発言を擁護しようとした大統領補佐から出たのが「もう一つの事実」という言葉。この発言にはとてもショックを受けた。ジョージ・オーウェルの『1984年』を連想する人もいたようだが、ぼくはフィリップ・K・ディックの『高い城の男』を連想した。自分がいつの間にか「うそ」の世界に迷い込んだような気がしたからだ。
『高い城の男』が描くのは、第二次世界大戦の勝敗が逆転した世界だ。第二次世界大戦に枢軸国側が勝利して15年、世界はドイツと日本の勢力下にある。作品の主な舞台であるサンフランシスコはアメリカ太平洋岸連邦に属し、日本が間接的に統治しているが、ドイツも勢力の拡大を狙っており、水面下では国家間の争いが絶えない。美術工芸品を扱う店を経営するロバート・チルダン。通商代表部のトップでチルダンの店の顧客である田上信輔。チルダンの店に自らデザインした工芸品を売り込もうとするフランク・フリンク。フリンクの元妻でコロラドで柔道を教えるジュリアナ。さらにドイツ軍の密命を受け、田上信輔のオフィスで日本軍関係者と接触を図ろうとするバイネスなど、複数の作中人物が視点人物となり、緊密に関係し合いながら物語世界が展開していく。
 そんな中、彼らの間で密かに話題になっている本があった。ホーソーン・アベンゼンの『イナゴ身重く横たわる』。第二次世界大戦で連合国側が勝利するという内容だ。枢軸国側が勝利した世界で、連合国側が勝利したという内容の小説が読まれているというディックらしい二重構造。おもしろいのは、作中人物たちが『イナゴ身』をフィクションとしてより、むしろありうべき真実だったのではないかと思い始めるところだ。ちなみに「高い城の男」とは、『イナゴ身』の著者アムンゼンのこと。彼はドイツの刺客から身を守るために、セキュリティの厳重な「高い城」に住んでいるという。ジュリアナは、いきつけの食堂で知り合ったトラック運転手でイタリア人のジョー・チナデーラと名乗る男とデンバーへ行くことになるが、そこは「高い城」まで車でわずかの距離だった…。
 ディックの小説では何が真実で何がうそかが限りなくあいまいになっていく。チルダンの店で持ち上がる南北戦争で使われた古い拳銃が偽物だったという騒動もまた、小説全体のテーマを側面から補強するエピソードになっている。チルダンに偽の拳銃を売った工場の責任者は、真実性、史実性はすべて脳内にあり、品物ではなく、たった一枚の書類がそれを証明する以上、「本物」や「偽物」という概念そのものに意味がないという持論を披露する。
『高い城の男』には、もう一つ特徴ある本が登場する。占いの『易経』である。田上もフリンクも、ジュリアナも迷ったとき、重大な局面にさしかかったとき、この知恵の集積ともいうべき書を紐解いている。物語の終盤、この二つの書物の関係が明かされるが、何が真実なのかという問いかけは意味がないだろう。利害関係を持った複数の作中人物が複雑に絡み合う『高い城の男』においては、複数の脳内真実のぶつかり合い、せめぎ合うところに「仮の世界」とでも言うべきものが生じているだけだからである。
『高い城の男』はフィリップ・K・ディックの代表作として挙げられることが多いが、SFというよりはサスペンスを読んでいるような味わいで、SFはちょっとという人にもおすすめ。作中に登場する二つの書物は、真実性を証明する書類のように見えるが、それらが存在を暗示するのは、この世界が「仮の世界」でしかないこと、さらには顕在することのなかった可能世界なのだから話はややこしい。