和製ハードボイルド 柴田錬三郎『御家人斬九郎』

 ハードボイルド小説と言えば、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』とか、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』などで活躍する私立探偵たちが思い浮かぶ。「タフで情に流されない」と形容されるサム・スペードやフィリップ・マーロウの行動様式は、そうであるだけ悲哀や感傷もにじみ出る。
 行きつけの飲み屋のお兄ちゃん言うには、柴田錬三郎の『御家人斬九郎』は「和製ハードボイルド」なのだそうだ。たぶん、ハードボイルドっぽい小説はきっと北方謙三とか大沢在昌とか、さらに古くは生島治郎とか書いてるんだと思うけど、柴田錬三郎な! これは考えてなかった。
 通称「斬九郎」。本名は松平残九郎。家康の末裔という由緒正しい家柄ながら、現在は下級武士の身で貧乏生活を送っている。斬九郎という通称は、彼の内職、つまり公儀には内密の仕事に由来する。斬九郎の内職とは、彼の神技とも称される剣の腕を生かした、諸家内密の処刑の介錯である。生来の酒好き、斬九郎は、内職の報酬を手にすると、すぐ江戸の町へくり出しての放蕩三昧。売れっ子の芸妓である情婦とのあいびきをすることもある。とはいえ、約束しているのではない。情婦のほうがタイミングを見計らって、斬九郎の部屋に忍んでくる。そして、明け方またすっといなくなる。お互いに離れがたい仲だなどとは口にも表情にも見せたことがないという。
 そんな斬九郎には、もう一つどうしても首斬りをせざるを得ない事情があった。それは七十九歳になる母親麻佐女である。年の離れた母親と二人暮らしの斬九郎はふだん「このくそ婆」などとののしっているが、母親のほうも負けてはいない。それどころか年のに似合わない気の強さ、口達者な母親に斬九郎は、頭が上がらない。食通で食欲旺盛な母親の胃袋を満たすため、斬九郎は内職に励まなければならない。また小鼓の名手でもある母親は、胃袋の満たされたときだけ、鼓を打つが、斬九郎はこの音色に心から惚れている。
 不義を働いた小姓と女中、夫を殺した妻、謎の連続殺人、復讐心に燃える女から岡っ引きが持ち込む騒動、果ては仇討や幕府の内部抗争に至るあらゆるトラブルを斬九郎は剣の腕だけでなく、冷静な観察眼と情け無用の行動力で次々と解決していく、まさに痛快娯楽小説。情に流されず、ときに策士ぶりまで見せてことを成し遂げるが、相手が誰であろうと道理は通すという斬九郎の哲学は、エンターテイメントならではの気持ちよさがあるし、ハードボイルド小説にも通じるものだ。それにしても、首斬りで得た報酬で母親の胃袋と自らの欲望を満たすというのは、案外、生きるということの本質かもしれない。