「厭でござりまする」 幸田露伴『五重塔』

「木理美(もくめうるわ)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫(あかがし)を用ひたる岩畳作(がんじょうつく)りの長火鉢に対(むか)ひて話し適(がたき)もなく唯(ただ)一人、少しは淋しさうに坐(すわ)り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃(いつはら)ひしか剃つたる痕(あと)の青々と(…)」
 冒頭からこんな調子で長火鉢に向かって座っている女の外見を顔立ちから髪型、着るものに至るまで丁寧な描写が擬古文で1頁も続くと、ちょっとしんどいが、慣れてくると一定のリズムが波に揺られるような心地よさに変わる。この名文に触れるだけでも読む価値があると思う。
 大工十兵衛は、腕はいいが世渡り下手のせいで「のっそり」などとばかにされ、まともな仕事にもありつけない。妻子三人で極貧の生活に甘んじ、ほとんどあきらめの境地。そんな折、谷中感応寺で五重塔を建立する計画が持ち上がる。本来なら感応寺を建てた大工の源太が五重塔の建立も請け負うべき仕事であるが、なんとのっそり十兵衛が当時高徳の和尚として敬われていた朗円上人に直接五重塔建設の請負を願い出たことから、ことがややこしくなる。源太は十兵衛の親方にあたり、ふだんから公私にわたり世話になっているのでなおさらである。しかし、源太は若い職人たちをまとめ上げる大工の親方として、江戸っ子らしい気風と面倒見のよさで人望も厚い男。朗円上人に諭された二人は、互いにある決断をする。仕事をあきらめることを決めていた十兵衛に源太は二人の連名で搭を建てようと提案するのである。源太にしてみたら、本来自分が一人でするはずの仕事を配下の十兵衛に半分譲ろうというのだから、大英断のつもりである。「厭(いや)でござりまする」というきっぱりとした断りの言葉はこのとき十兵衛の口から発せられたものだ。
 この無愛想さの理由は、十兵衛の口下手もさることながら、十兵衛が五重塔を建てたいと思った動機が大きくかかわっている。技術の高さならだれにも負けないつもりだが、生来の不器用さにたたられ、不遇をかこっている。己はこのまま世間の片隅に埋もれたまま、名を成すこともなく一生を過ごすのかという実に近代的な主題がここにある。五重塔を立派に立てることができれば、「のっそり」は一発逆転をねらえるのである。擬古文で書かれていても、はやり明治の文豪幸田露伴の作品、エゴイズムの問題を扱って、ちゃんと近代小説していると読んでいたら、文庫解説の桶谷秀明はここにエゴイズムを超えた、「デエモンに憑かれた自然の力」を見ていた。
 十兵衛は上人に次のように訴える。

「御上人様、源太様は羨ましい、智慧も達者なれば手腕(うで)も達者、ああ羨ましい仕事をなさるか、我(おれ)はよと、羨ましいがつひ高じて女房(かか)にも口いかず泣きながら寐ましたその夜の事、五重塔は汝(きさま)作れ今直(すぐ)つくれと怖しい人に言いつけられ、(…)」

 五重塔を作れと十兵衛に命じた「怖しい人」(=デエモン)。こうした自我を超えた執念は、名を成し、財を築くという現世的な価値観を顧みることはなく、五重塔を建設することを自分の命と引き換えにするという覚悟ができている。エゴイズムという意味では、十兵衛よりむしろ源太である。常識人でもあり、腕もたつ源太は価値の交換ということを常に念頭において行動している。連名での建立を十兵衛に断られた後、十兵衛に五重塔建立を譲る決断をした源太は上人にほめられ、涙しているし、十兵衛に自分の持っていた五重塔に関する図面やら資料やら一切を差し出し、これも断られたのに激怒したのも相手の感謝を期待しているからである。だからといって、源太の生き方をさもしいと非難することはできない。世知に通じた源太は義理や人情を大事にして生きてきた男なのである。
 そうした源太との対比において、十兵衛の非常識さ、不器用さが際立つが、五重塔建立に執念を燃やす彼は、もう「現世」をはみ出ているということができるだろう。物語は、建立直後、江戸を吹き荒れた大嵐にも堪えた五重塔の棟梁として十兵衛の名が世に聞こえるというところで終わっているが、その後の十兵衛は、名声に見合う富を手にすることができたのだろうか。桶谷秀明はもとの貧乏生活のまま、悪くすると抜け殻のようになって路頭に迷うのではないかという想像をしている。富とまではいかなくとも、せめて人並みの生活を送ってもらいたいと思うのはやまやまだが、ぼくも桶谷秀明の想像に賛成だ。ものに憑かれるというのは、何かを売り渡すということだと思う。