重なる時間 吉田健一『怪奇な話』

 魔法使いが自分の腕試しのために島をうごかす話(「山運び」)とか、月に魅せられ、いつも月のことばかり考えている大工の話(「月」)とか、旅先の宿で瀬戸内海を眺めていると、水軍の船団が現れる話(「瀬戸内海」)など、表題通り「怪奇な話」が9編入った短編集。
 おもしろいのは「怪奇」現象に対する登場人物の態度で、どんな不思議な体験をしても、落ち着き払っていること。それは語り手も同じで、リラダンとか、ポーとか、ボードレールといった作家や詩人たちの話を枕でする感じは、名人の落語を聞いているようなものです。
 「化けもの屋敷」という短編は、空襲で焼け残った一軒家に幽霊らしきものが出てくる話。誰もいないはずの部屋の電気がついたり、隣室から談笑が聞こえたり…。そのうち実際に人の姿が見えるようになります。
 その家に住み始めた男はそれをいやだとは思わないし、どうも向こうも男に悪い感情を持っていないらしい。かつてその家に暮らしたものたちの気配が濃密に漂う、そんな一人暮らし。過ぎ去ったはずの時間と今が重なるようにして存在している。考えてみれば、幽霊話は異なる時間との出会いなんですね。(保坂和志の『カンバセイション・ピース』はこれに着想を得たんじゃないかなあ)
 ただ、語り手が一度だけ感情を高ぶらせるところがあります。
 「この頃聞かされる最も愚劣な言い方の一つに今は人工衛星の時代というのがあって人工衛星だからどうしたのか、それで人間が息もしなければ酒も飲まなくて男女の縺れも消え去ったのか(…)」(「山運び」)
 この「最も愚劣」というのが、いいですね。でも、ぼくには幽霊がいなくなる日が来る、人の口から語られなくなるなんてことは信じられません。吉田健一が「愚劣」だというのは、幽霊について語らないこと(幽霊のことばに耳を傾けないこと)は、一種の欺瞞だからだと思います。